伊藤仁斎宅(古義堂)跡ならびに書庫
伊藤仁齋舊宅(古義堂)址竝書庫[指定史蹟]
昭和初期のガイド文
市電堀川下立売下車、東堀川出水下ル四丁目、堀川河岸に面したところにあります。伊藤仁斎が書を講じた古義堂の跡で、門を入ってすぐ左手に二階建土蔵造の書庫があり、仁斎当時の建築です。古義堂は仁斎の没後、江戸時代中期の享保18年(1733年)その子東涯がこれを改築しましたが火災に罹り、その後しばしば建て直され、現在の建物は明治年間(1868~1912年)の建築です。仁斎は江戸初期の儒者で幼少期から学を好み、初め程朱の学を修め、のち古学に帰し、門戸を開いて教授し、堀川塾として世に伝唱せらる。宝永2年(1705年)3月79歳で没し、維新後正四位を贈られました。その子東涯もまたここで書を講じ、また従四位を贈られました。なお、仁斎および東涯の墓は嵯峨二尊院にあります。
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 伊藤仁斎宅(古義堂)跡ならびに書庫
- かな
- いとうじんさいたく(こぎどう)あとならびにしょこ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府京都市上京区東堀川通出水下ル
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市電堀川下立賣下車、東堀川出水下ル四丁目、堀川河岸に面した所にある。伊藤仁齋が書を講じた古義堂の址で、門を入りてすぐ左手に二階建土藏造の書庫があり、仁齋當時の建築である。古義堂は仁齋の歿後、享保十八年その子東涯これを改築したが火災に罹り、その後屢更新せられ、現時の建物は明治年閒の建築である。仁齋は江戶初期の儒者で幼より學を好み、初め程朱の學を修め、のち古學に歸し、門戶を開きて敎授し、堀川塾として世に傳唱せらる。寶永二年三月歿す歲七十九、維新後正四位を贈られた。その子東涯またこゝにあつて書を講じ、また從四位を贈られた。尙、仁齋及東涯の墓は嵯峨二尊院にある。
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