高瀬川

高瀨川
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

鴨川の水を引いた運河で、二条通木屋町樋の口から分岐して西に入り、すぐに南折し鴨川を横断して伏見の京橋で宇治川に合流します。この運河は角倉了以が幕府の許可を得て開鑿したもので、江戸時代前期の慶長16年(1611年)起工、同十九年(1614年)竣工、これにより京伏見間および京阪間の運輸交通が便利となりました。明治27年(1894年)琵琶湖疏水運河が開通してから、高瀬川の曳舟は跡を絶ち、河畔の柳も残っているものが稀になりました。鴨川に架かる大橋に対し、高瀬川に架設してある橋には小橋の名があります。三条小橋以南の川沿いに薪炭を売る一街ができて木樵町といいましたが、いつしか木屋町と変じ、今は旅館、貸席、旗亭等が櫛比しています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
高瀬川
かな
たかせがわ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

賀茂川の水を引いた運河で、二條通木屋町樋の口から分岐して西に入り、直に南折し賀茂川を橫斷して伏見の京橋で宇治川に合する。この運河は角倉了以が幕府の許可を得て開鑿したもので、慶長十六年起工、同十九年竣工、爲めに京伏見閒及び京阪閒の運輸交通が便利となつた。明治二十七年琵琶湖疏水運河が開通してから、高瀨川の曳舟は跡を絕ち、河畔の楊柳も殘存するものが稀になつた、高瀨川に架設してある橋に小橋の名があることは既に述べた。三條小橋以南の川沿ひに薪炭を賣る一街が出來て木樵町と云つたが、いつしか木屋町と變じ、今は旅館、貸席、旗亭等が櫛比して居る。

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