鴨川をどり(先斗町歌舞練場)
昭和初期のガイド文
市電河原町三条下車、先斗町鴨涯歌舞練場で、毎年5月に約20日間催される舞踊で、祇園の都踊と並び称されています。起原は都踊と同じく明治5年(1872年)ですが、その後一旦中止したのを、明治28年(1895年)平安奠都1,100年記念祭挙行を期として再興しました。今の建物は昭和2年(1927年)の竣工、鉄骨造併用鉄筋コンクリート造4階建で別に地階を有し、舞台、観覧席、待合室、休憩室、点茶室等総建坪4万m²です。
舞台は正面幅22m、奥行11m、中央に迫り上りが設けてあります。背景は都踊と同じく年々新作となる歌曲に因んで作られます。登場人員は地方20人、囃方10人、踊子28人を1隊とし、4隊232人、毎夜交代して4日毎に一周することとなっています。いずれも先斗町の若い歌妓中から選抜するので、その妙技美観は都踊に劣りません。特等観覧者は点茶席に案内され薄茶を飲めます。
令和に見に行くなら
- 名称
- 鴨川をどり(先斗町歌舞練場)
- かな
- かもがわをどり(ぽんとちょうかぶれんじょう)
- 種別
- レジャー
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府京都市中京区橋下町130
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市電河原町三條下車、先斗町鴨涯歌舞練場に於て、每年五月約二十日閒ばかり催される舞踊で、祇園の都踊と竝稱せられて居る。起原は都踊と同じく明治五年であるが、その後一旦中止したのを、明治二十八年平安奠都一千百年記念祭擧行を期として再興した。今の建物は昭和二年の竣工、鐵骨造倂用鐵筋コンクリート造四階建で別に地階を有し、舞臺、觀覽席、待合室、休憩室、點茶室等總建坪四〇〇アールである。
舞臺は正面幅二二米 奧行一一米、中央に迫り上りが設けてある。背景は都踊と同じく年々新作せらるゝ歌曲に因んで作られる。登場人員は地方二十人、囃方十人、踊子二十八人を一隊とし、四隊二百三十二人、每夜交代して四日每に一周することゝなつて居る。いづれも先斗町の若い歌妓中から選拔するので、その妙技美觀は都踊に劣らないのである。特等觀覽者は點茶席に案內して薄茶を侑めて居る。
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