湊町
湊町
昭和初期のガイド文
湊鉄道湊駅所在地、南は那珂川の河口に臨み、もと那珂湊と称し、江戸時代には北海の産物を集散したところで、現在にでも巨商が多く、水産物の取引が盛んです。人口約1万3,000人、市街の西北に湊公園あり、もと日和山と呼ばれたところで、徳川光圀がここに夤賓閣を建ててから御殿山と改称されました。閣は元治元年(1864年)の乱の兵火にかかって焼失しました。園内に桜、ヤナギが多い。また町内に徳川斉昭の創設した反射炉の跡があります。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 湊町
- かな
- みなとまち
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 備考
- 合併によりひたちなか市となっています。
- 住所
- 茨城県ひたちなか市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
湊鐵道湊驛所在地、南は那珂川の河口に臨み、もと那珂湊と稱し、江戶時代には北海の產物を集散した處で、今に巨商が多く、水產物の取引が盛である。人口約一萬三千、市街の西北に湊公園あり、もと日和山と云つた處で、德川光圀がこゝに夤賓閣を建てゝから御殿山と改稱せられた。閣は元治元年の亂の兵火にかゝつて燒失した。園內に櫻、柳が多い。また町內に德川齊昭の創めた反射爐の址がある。