偕楽園

常磐公園
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

水戸駅の西北2km、乗合自動車の便があります。第一公園とも称し、南に千波湖を瞰下し、園内は梅林広く花の時期には大いに賑わいます。園の西隅に好文亭があり、付近にツツジが多い。ここはもと藩主徳川斉昭が江戸時代後期の天保年間(1830~1844年)に造営したところで、士民の遊覧を許し偕楽園と名づけ、江戸時代から金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに三名園と称されていました。園内好文亭から西に下れば老杉の間に寒水石の井筒があり、なかから清澄な冷泉が湧いて常に井筒の上に溢れています。その水蝕を受けた寒水石の外側は小凹凸多く奇観を呈します。梅林の南隅にある老松は三保松原から移した苗木の成長したもので、その崖下に斉昭の手書になる仙湖暮雪の碑があります。園の西南稲田を隔てて向こうに位置する桜山は、公園の附属地でその名のように桜の樹が多いところです。園の東は常磐神社の境内に接します。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
偕楽園
かな
かいらくえん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
茨城県水戸市常磐町1-3
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の西北二粁、乘合自動車の便がある。一に第一公園とも稱し、南に千波湖を瞰下し、園內梅林廣く花時大に賑ふ。園の西隅に好文亭あり、附近につゝじが多い。こゝはもと藩主德川齊昭が天保年閒に經營した處で、士民の遊覽を許し偕樂園と名づけ、江戶時代から金澤の兼六園、岡山の後樂園と共に三名園と稱せられて居た。園內好文亭から西に下れば老杉の閒に寒水石の井筒があり、中から淸澄な冷泉が湧いて常に井筒の上に溢れて居る。その水蝕を受けた寒水石の外側は小凹凸多く奇觀を呈する。梅林の南隅にある老松は三保松原から移した苗木の生ひたもので、その崖下に齊昭の手書になる仙湖暮雪の碑がある。園の西南稻田を隔てゝ向ふに位する櫻山は、公園の附屬地で名の如く櫻樹が多い。園の東方は常磐神社の境內に接する。

水戸・大洗のみどころ