藤田東湖の墓

藤田東湖墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

水浜電車谷中停留場の東北500m、茨城鉄道上水戸駅の東北600m、水戸市外常磐村常磐原墓地にあり、その墓碑は表誠之碑と題し青山延光の書になり、木柵に囲まれています。そのそばに夫人山口氏墓および父幽谷夫妻の墓があります。東湖は水戸藩士で江戸時代後期の文化3年(1806年)に生まれ、文政10年(1827年)彰考館に入り、斉昭が藩主となるとこれに仕えて郡奉行、側用人などを歴任し、尊王攘夷論を天下に唱導しました。安政2年(1855年)の大地震に江戸の藩邸で圧死しました。50歳。維新後正四位を贈られました。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
藤田東湖の墓
かな
ふじたとうこのはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
茨城県水戸市松本町13-34
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

水濱電車谷中停留場の東北五〇〇米、茨城鐵道上水戶驛の東北六〇〇米、水戶市外常磐村常磐原墓地にあり、その墓碑は表誠之碑と題し靑山延光の書に係り、木柵に圍まれて居る。その傍に夫人山口氏墓及父幽谷夫妻の墓がある。東湖は水戶藩士で文化三年に生れ、文政十年彰考館に入り、齊昭藩主となるや仕へて郡奉行、側用人などに歷任し、尊王攘夷論を天下に唱導した。安政二年の大地震に江戶の藩邸で壓死した、歲五十。維新後正四位を贈られた。

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