常磐神社

常磐神社[別格官幣社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

水戸駅の西3.5km、自動車の便があります。常磐公園の東に接続し、南は千波湖に面した勝景の地を占めています。社殿は明治6年(1873年)の創建にして、本殿は神明造、徳川光圀および徳川斉昭を祀ります。光圀は第2代の水戸藩主で徳川家康の孫にあたり、頼房の第3子です。寛永5年(1628年)水戸に生まれ、元禄13年(1700年)73歳で没し、諡して義公といいます。天性学を好み、国史を修めて皇道を閘明しようと志し彰考館を創設し、大日本史の編纂に著手して修史事業に力を尽し、その他社会風致のために尽した功績は極めて大きなものでした。斉昭は第9代水戸藩主で寛政12年(1800年)江戸に生まれ、万延元年(1860年)61歳で没しました。諡して烈公といいます。幼い頃から朝廷を尊び、社会民心の作興を計り、弘道館を設けて文武の道を講じ、幕末多事の際国事に尽痒するところは大きなものがありました。

  • 宝物
  • 大砲 1基 神楽殿の北側にあり、天保年間烈公が製作したもの。
  • 熔解炉 1個 大砲のそばにあり烈公が大砲を鋳造した際に使用したもの。
  • 台場砲 1基 烈公の工夫したもの。
  • 舶来測量器 1個 烈公が参考にしたもの。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
常磐神社
かな
ときわじんじゃ
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
昭和20年(1945年)の空襲でほとんどの社殿を焼失しました。
住所
茨城県水戸市常磐町1-3-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の西三粁半、自動車の便がある。常磐公園の東に接續し、南方は千波湖に面した勝景の地を占めて居る。社殿は明治六年の創建にして、本殿は神明造、德川光圀及德川齊昭を祀る。光圀は第二代の水戶藩主で德川家康の孫に當り、賴房の第三子である。寬永五年水戶に生れ、元祿十三年七十三歲で歿し、諡して義公と云ふ。天性學を好み、國史を修めて皇道を閘明せんと欲し彰考館を創め、大日本史の編纂に著手して修史事業に力を盡し、その他社會風致のために盡した功績は極めて大であつた。齊昭は第九代水戶藩主で寬政十二年江戶に生れ、萬延元年六十一歲で歿した。諡して烈公と云ふ。夙に朝廷を尊び、社會民心の作興を計り、弘道館を設けて文武の道を講じ、幕末多事の際國事に盡痒する所大なるものがあつた。

  • 寶物
  • 大砲 一基 神樂殿の北側にあり、天保年閒烈公の製作せしめしもの。
  • 熔解爐 一個 大砲の傍にあり烈公が大砲を鑄造せしめし時使用せしもの。
  • 臺場砲 一基 烈公の工夫せしもの。
  • 舶來測量器 一個 烈公の參考せしもの。

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