円福寺の阿弥陀像
圓福寺阿彌陀像[國寶]
昭和初期のガイド文
水戸駅の西南約13km、途中小鶴まで自動車の便があります。上野合村鳥羽田円福寺の本尊ですが、この像はもと水戸東照宮の別当大照院の本尊で、明治初年この寺へ移されたものです。木造、高さ約90cm、結跏趺坐の像で、両手を膝の上に置き胎蔵界大日如来の定印を結び、弥陀の定印とは異なっています。面貌豊麗温雅、姿態優美、藤原時代末期の特徴をもつ優秀な作です。胎内の墨書銘によると、この像は鎌倉時代の建保5年(1217年)に水戸の大照院に始めて安置され、後の慶長(1596~1615年)および江戸時代末期の嘉永年間(1848~1854年)に修理されています。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 円福寺の阿弥陀像
- かな
- えんぷくじのあみだぞう
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 茨城県東茨城郡茨城町鳥羽田656
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の西南約一三粁、途中小鶴まで自動車の便がある。上野合村鳥羽田圓福寺の本尊であるが、この像はもと水戶東照宮の別當大照院の本尊で、明治初年當寺へ移されたものである。木造、高さ約九〇糎(三尺)結跏趺坐の像で、兩手を膝の上に置き胎藏界大日如來の定印を結び、彌陀の定印とは異つて居る。面貌豐麗溫雅、姿態優美、藤原時代末期の特徵を有する優秀なる作である。胎內の墨書銘によると、この像は建保五年に水戶の大照院に始めて安置され、後慶長及嘉永年閒に修理されて居る。