下総国分寺跡

下總國分寺址

昭和初期のガイド文

総武線市川駅の東北3km、京成電車市川国府台停留場の東北2km、国分村にあります。今日では旧国分寺跡に新義真言宗国分寺の薬師堂、鐘楼などが建っています。鐘楼のあるところは方形の土壇となっていて、もとの国分寺の礎石が4個遺存しています。このほかに旧国分寺礎石は7~8個残存していますが薬師堂下などに散在し、原位置を明らかに知ることはできません。しかし寺跡の東隅の竹藪や付近の昔堂と呼ばれる畑中には、奈良朝時代の古瓦の破片が多く遺存し、礎石とともに国分寺の遺跡であることがほぼ推定されています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
下総国分寺跡
かな
しもうさこくぶんじあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
千葉県市川市国分3-20-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

總武線市川驛の東北三粁、京成電車市川國府臺停留場の東北二粁、國分村にある。今舊國分寺址に新義眞言宗國分寺の藥師堂、鐘樓などが建つて居る。鐘樓のある所は方形の土壇をなし、もとの國分寺礎石が四個遺存して居る。この外に舊國分寺礎石は七八個殘存して居るが藥師堂下などに散存し、原位置を明かに知ることが出來ない。然し寺址の東隅竹藪及附近の昔堂と稱する畑中には、奈良朝時代の古瓦の破片が多く遺存し、礎石と相俟つて國分寺の遺蹟であることがほゞ推定される。

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