徳蔵寺の板碑

德藏寺板碑[國寶]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

西武電車東村山駅の北約1km、東村山村野口徳蔵寺境内にあり、碑はもと将軍塚と呼ばれる小丘にあったものを後に当寺境内に移したものです。このあたり一帯は鎌倉時代の元弘3年(1333年)新田義貞が北条氏誅伐のため武州に攻め入った時、鎌倉の軍勢と合戦を交えた久米川古戦場です。板碑はその時戦死した斎藤盛貞などの供養のために建てられたもので、碑の上端は欠失していますが残存部の上部には梵字で光明真言を記しその下に次の文があります。

飽間斎藤三郎藤原盛貞生年廿六於武州府中五月十五日令討死、同孫七家行廿三同死、飽問孫三郎憲長川五於相州村岡十八日討死。勧進玖阿弥陀仏、執筆遍阿弥陀仏、元弘三年癸酉五月十五日敬白

当時の史実を示す貴重な資料です。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
徳蔵寺の板碑
かな
とくぞうじのいたび
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
昭和43年(1968年)に「板碑保存館」が建てられました。
住所
東京都東村山市諏訪町1-26-3
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同東村山驛の北約一粁、東村山村野口德藏寺境內にあり、碑はもと將軍塚と稱する小丘にあつたのを後に當寺境內に移したものである。此邊一帶は元弘三年新田義貞が北條氏誅伐のため武州に攻め入つた時、鐮倉の軍勢と合戰を交へた久米川古戰場である。板碑はその時戰死した齋藤盛貞などの供養のために建てられたもので、碑の上端は缺失して居るが殘存部の上部には梵字で光明眞言を刻しその下に次の文がある。

飽閒齋藤三郞藤原盛貞生年廿六於武州府中五月十五日令討死、同孫七家行廿三同死、飽問孫三郞憲長川五於相州村岡十八日討死。勸進玖阿彌陀佛、執筆遍阿彌陀佛、元弘三年癸酉五月十五日敬白

卽ち當時の史實を徵すべき貴重なる資料である。

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