鈴木重胤の墓

鈴木重胤墓

昭和初期のガイド文

西武鉄道新宿線鍋屋横町停留場の南0.5km、和田堀町長延寺境内にあり、重胤は淡路の人、国学者で勤王家でした。江戸時代末期の文久3年(1863年)52歳で没し、維新後に正五位を贈られました。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
鈴木重胤の墓
かな
すずきしげたねのはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
東京都杉並区和田1-44-24 長延寺内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

西武鐵道新宿線鍋屋橫町停留場の南半粁、和田堀町長延寺境內にあり、重胤は淡路の人、國學者で勤王家であつた。文久三年五十二歲で歿し、維新後正五位を贈られた。

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