豪徳寺

豪德寺[曹洞宗]

昭和初期のガイド文

玉川電車豪徳寺前停留場の東北250m、世田ヶ谷町元宿にあります。元弘徳院と称し、室町時代の文明12年(1480年)この地の豪族吉良左京太夫政忠が、伯母弘徳院のため草創した寺です。江戸時代前期の寛永15年(1638年)井伊直孝が殿舎を修理し、万治2年(1659年)今の名に改称しました。寺の西にある墓地に井伊直弼の墓があります。直弼は近江彦根藩主で江戸時代末期の安政5年(1859年)幕府の大老となり、大いに国事に尽しましたが、万延元年(1860年)水戸浪士のために江戸桜田門外で刺された。享年46歳。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
豪徳寺
かな
ごうとくじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

玉川電車豪德寺前停留場の東北二五〇米、世田ケ谷町元宿にあり。元弘德院と稱し、文明十二年この地の豪族吉良左京太夫政忠が、伯母弘德院のため草創した寺である。寬永十五年井伊直孝が殿舍を修理し、萬治二年今の名に改稱した。寺の西にある墓地に井伊直弼の墓がある。直弼は近江彥根藩主で安政五年幕府の大老となり、大に國事に盡したが、萬延元年水戶浪士のために江戶櫻田門外で刺された。享年四十六。

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