大多羅寄宮跡

大多羅寄宮址[指定史蹟]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

西大寺鉄道大多羅駅の東約1km、布勢神社の北200mの可知村大多羅丘陵の頂上にあり、現在、石垣および鳥居などが残存しています。これは江戸時代中期の正徳年間(1711~1716年)に岡山藩主池田綱政が、父光政の整理合祀した寄宮中さらに廃頽に帰した六十六社を合祀して建てた神社が、明治維新後さらに荒廃したので、近年布勢神社に合祀し、寄宮の跡のみを遺すようになったものです。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
大多羅寄宮跡
かな
おおだらよせみやあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
岡山県岡山市東区大多羅
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

西大寺鐵道大多羅驛の東約一粁、布勢神社の北二〇〇米の可知村大多羅丘陵の頂上に存し、今、石垣及鳥居等が殘存して居る。これは正德年閒に岡山藩主池田綱政が、父光政の整理合祀した寄宮中更に廢頽に歸した六十六社を合祀して建てた神社が、明治維新後更に荒廢したので、近年布勢神社に合祀し、寄宮の址のみを遺す樣に成つたのである。

備前・瀬戸内のみどころ