後鳥羽天皇大原陵

後鳥羽天皇大原御陵
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

三千院境内の北部にあります。御陵は石柵を巡らせたうちに十三重の御石塔がありますが、もとは法華堂で、大原法華堂御陵とも呼ばれています。後鳥羽天皇は第82代、承久の乱後隠岐国刈田郷に遷られ、19年過ごされた後、鎌倉時代の延応元年(1239年)2月崩御され御火葬の後、仁治2年(1241年)2月御骨を法華堂に納め祀られました。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
後鳥羽天皇大原陵
かな
ごとばてんのうおおはらのみささぎ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市左京区大原勝林院町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

三千院境內の北部にある。御陵は石柵を繞らした裡に十三重の御石塔があるが、もとは法華堂であつて、大原法華堂御陵とも呼んで居る。後鳥羽天皇は第八十二代、承久の亂後隱岐國刈田鄕に遷らせ給ひ、居給ふこと十九年、延應元年二月崩ぜられ御火葬の後仁治二年二月御骨を法華堂に納め奉つた。

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