石川丈山の墓
石川丈山墓[指定史蹟]
昭和初期のガイド文
叡山電車一乗寺の東1.5km、一乗寺松原町、舞楽寺山の山頂にあります。扁平な自然石に「石聘君六六山人墓誌銘」と題し、寛文12年(1672年)6月の建設、文は丈山が生前野間三竹に依頼して選ばせたものです。墓碑の台石、敷石、石段などが現存し、石段のそばには門人平岩仙桂の墓があります。丈山は詩仙堂に隠棲しこの地を選んで生前ここに終の棲家を築きました。寛文12年5月90歳をもって詩仙堂において没し、ここに葬られました。
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 石川丈山の墓
- かな
- いしかわじょうざんのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府京都市左京区一乗寺松原町31-11
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
叡山電車一乘寺の東一粁半、一乘寺松原町、舞樂寺山の山頂にある。扁平な自然石に「石聘君六六山人墓誌銘」と題し、寬文十二年六月の建設、文は丈山が生前野閒三竹に囑して撰せしめたものである。墓碑の臺石、敷石、石階等現存し、石階の傍には門人平岩仙桂の墓がある。丈山は詩仙堂に隱棲しこの地を卜して生前こゝに壽壙を築いた。寬文十二年五月九十歲を以て詩仙堂に於て沒し、こゝに葬られた。