修学院離宮
修學院離宮
昭和初期のガイド文
叡山電車修学院の東約800m。拝観には特別の許可が必要です。
承応年間(1652~1655年)徳川家綱が後水尾天皇のために造営した離宮で、下離宮、中離宮および上離宮の3か所に分かれていますが、林泉美の最も優れているのは上離宮です。上離宮は赤松の繁った比叡山麓の高い斜面に築造されているので、前方は京都市街およびはるかに山河を望むことができ極めて眺望が広いところです。庭内には大きな浴竜池があり、その東岸の高所には隣雲亭、窮邃軒などの優秀な茶室があります。四辺の風光池面に映じ、四時景趣に富んでいます。
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 修学院離宮
- かな
- しゅがくいんりきゅう
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府京都市左京区修学院藪添
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
叡山電車修學院の東約八〇〇米。拜觀には特別の許可が必要である。
承慶年閒德川家綱が後水尾天皇のために造營した離宮で、下離宮、中離宮及上離宮の三箇所に別れて居るが、林泉美の最も優れたのは上離宮である。上離宮は赤松の繁つた比叡山麓の高い斜面に築造されて居るので、前方は京都市街及遙に山河が望まれ極めて眺望が廣い。庭內には大なる浴龍池があり、その東岸の高所には鄰雲亭、窮邃軒などの優秀な茶室があり。四邊の風光池面に映じ、四時景趣に富んで居る。