鹿児島城跡(鶴丸城跡)
鶴丸城址
昭和初期のガイド文
市電七高前下車、市内山下町第七高等学校造士館構内にあり、島津氏の居館鶴丸城の跡です。以前は上山城と呼ばれ、室町時代の観応(1350~1352年)の頃上山氏の居城として知られましたが、鶴丸城は安土桃山時代の慶長年間(1596~1615年)島津家久の構築となり、明治初年(1868年)まで12代約270年間の島津氏の総治所で、高い石塁、濠池、擬宝珠付石橋等が昔時の面影を留め、明治5年(1872年)6月の明治天皇行幸記念の碑が建っています。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 鹿児島城跡(鶴丸城跡)
- かな
- かごしまじょうあと(つるまるじょうあと)
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 鹿児島県鹿児島市城山町7-2
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市電七高前下車、市內山下町第七高等學校造士館構內にあり、島津氏の居館鶴丸城の址である。以前は上山城と呼ばれ、觀應の頃上山氏の居城として知られたが、鶴丸城は慶長年閒島津家久の構築にかゝり、明治初年まで十二代約二百七十年閒の島津氏の總治所で、高い石壘、濠池、擬寶珠附石橋等が昔時の俤を留め、明治五年六月の明治天皇行幸記念の碑が建つて居る。