島津家墓所(福昌寺跡)

福昌寺址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市バス堂の前下車、池之上町長谷場墓地にあります。寺は室町時代の応永の初年(1394年)島津元久の創建となり、伊集院忠国の子石屋真梁禅師を開山とし、累代島津氏の菩提寺で、堂塔宏壮を極めましたが、江戸時代前期の延宝(1673~1681年)、江戸時代中期の享保(1716~1736年)両度の火災に罹り、維新後寺堂を川内町に遷し墓所のみをこの地に残すこととなりました。元久以下歴代の墓が残っていますが、島津久光の墓側に大正15年(1926年)11月勅命によって建てられた神道碑があります。篆額は伏見宮博恭王殿下の御筆です。島津斉彬墓および同忠義墓も並んでいます。別に島津家墓地の後方の小高いところに開山石屋禅師の墓があります。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
島津家墓所(福昌寺跡)
かな
しまづけぼしょ(ふくしょうじあと)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
鹿児島県鹿児島市池之上町24
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市バス堂の前下車、池之上町長谷場墓地にある。寺は應永の初年島津元久の創建にかゝり、伊集院忠國の子石屋眞梁禪師を開山とし、累代島津氏の菩提寺で、堂塔宏壯を極めたが、延寶、享保兩度の火災に罹り、維新後寺堂を川內町に遷し墓所のみをこの地に存する事となつた。元久以下歷代の墓が存するが、島津久光の墓側に大正十五年十一月敕命に依つて建てられた神道碑がある。篆額は伏見宮博恭王殿下の御筆である。島津齊彬墓及同忠義墓も竝び存する。別に島津家墓地の後方の小高い所に開山石屋禪師の墓がある。

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