西郷隆盛洞窟
西鄕南洲洞窟
昭和初期のガイド文
西郷隆盛終焉の地の西南約0.5km、市内山下町城山の北麓岩崎谷の凹渓にある洞窟で、明治10年(1877年)9月薩軍が城山を死守し、同月19日本営をこの洞窟に移し、城山陥落の日まで隆盛が起臥したところで、前面に碑が建っています。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 西郷隆盛洞窟
- かな
- さいごうたかもりどうくつ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 鹿児島県鹿児島市城山町19
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
南洲終焉地の西南約半粁、市內山下町城山の北麓岩崎谷の凹溪にある洞窟で、明治十年九月薩軍城山を死守し、同月十九日本營をこの洞窟に移し、城山陷落の日まで隆盛の起臥した所で、前面に碑が建つて居る。