桂庵墓
桂菴禪師舊址
昭和初期のガイド文
市バス伊敷終点下車、甲突川畔にあり、旧島津氏玉里邸から近いところです。日本に宋学を伝えた桂庵禅師が晩年住んだ東皈菴の旧跡で墓が残り、佐藤一斎撰文の碑銘があります。桂庵は山口の人で、室町時代の応仁元年(1467年)明国に渡り、朱子学を学んで文明5年(1473年)帰朝しました。同10年(1478年)島津忠昌が桂樹院を建てて住まわせました。桂庵はあちこちに転住し、晩年はこの地に隠棲し、永正5年(1508年)82歳で没しました。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 桂庵墓
- かな
- けいあんのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 鹿児島県鹿児島市伊敷2-18-33
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市バス伊敷終點下車、甲突川畔にあり、玉里島津邸から近い。我が國に宋學を傳へた桂菴禪師が晚年住した東皈菴の舊址で墓が存し、佐藤一齋撰文の碑銘がある。桂菴は山口の人で、應仁元年明國に渡り、朱子學を學びて文明五年歸朝した。同十年島津忠昌、桂樹院を建てゝ居らしめた。桂菴諸所に轉住し、晚年この地に隱棲し、永正五年八十二歲で歿した。