祇園之洲
祇園の洲
昭和初期のガイド文
鹿児島駅の東北約550m、市内清水町稲荷川の河口にあり、自動車の便があります。江戸時代末期の文久3年(1863年)生麦事件のため、イギリス艦が鹿児島を砲撃した際に薩藩は応戦防御した砲台の跡、その記念碑、明治10年(1877年)戦役戦死者の墓があり、風光のよい公園です。
ここから北に琉球人松があります。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 祇園之洲
- かな
- ぎおんのす
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 鹿児島県鹿児島市東谷山7
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
鹿兒島驛の東北約五五〇米、市內淸水町稻荷川の河口にあり、自動車の便がある。文久三年生麥事件のため、英艦が鹿兒島を砲擊した際に於ける薩藩應戰防禦の砲臺の址、その記念碑、明治十年戰役戰死者の墓があり、風光賞すべき公園である。
こゝから北に琉球人松がある。