城山

城山[指定天然記念物及史蹟]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

鹿児島駅の西南1.5km、市街の西北にある山丘で、海抜107m。市の全景とともに桜島、高千穂峯、開聞岳等も望むことができ、市中風光第一の地です。

山の北に岩崎谷と呼ばれる窪地があり、明治10年(1877年)西郷隆盛が、三州の壮士を率いて肥後に出て、官軍に抵抗しましたが破られ、日向の可愛岳に拠点を移しましたがまた包囲され、部下700人をもって奮闘して血路を開き、故山に還ってこの谷に入り、なおも拠守すること20日あまり、9月24日をもって陥落し、隆盛も将士も皆戦死しました。

城山は天然の森林公園で大樹鬱蒼と茂り、多数の亜熱帯常緑広葉樹が繁茂し、特にキンモクセイが自生していることで有名です。樹上には種々の蔓性植物が絡まり、林底には多数の草類および暖地性シダの群落があり、種類が多いことと、発生の盛んなことは九州南部の樹林中で代表的なものです。自生植物にバリバリの樹、ショウベンの樹、バクチの樹等もあります。城山公園の面積は約16万m²、頂上まで昭和7年(1932年)に完成した新道が通じています。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
城山
かな
しろやま
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
鹿児島県鹿児島市城山町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

鹿兒島驛の西南一粁半、市街の西北にある山丘で、海拔一〇七米。市の全景と共に櫻島、高千穗峯、開聞嶽等も望まれ、市中風光第一の地である。

山の北方岩崎谷と呼ぶ一凹地あり、明治十年西鄕隆盛、三州の壯士を率ゐて肥後に出で、官軍に抗したが破られ、日向の可愛嶽に據つたがまた重圍せられ、乃ち麾下七百を以て奮鬪して血路を開き、故山に還りてこの谷に入り、尙も據守する事二十餘日、九月廿四日を以て陷落し、隆盛股肱の將士皆戰死した。

城山は天然の森林公園で大樹鬱蒼と茂り、多數の亞熱帶常綠濶葉樹繁茂し、殊にきんもくせいの自生あるによつて著しい。樹上には種々の蔓性植物纏繞し、林底には多數の草類及暖地性羊齒の群落あり、種類の多いのと、發生の盛んなことは九州南部の樹林中で代表的のものである。自生植物にばりばりの樹、しようべんの樹、ばくちの樹等もある。城山公園の面積約一六ヘクタール、頂上まで昭和七年に完成した新道が通じて居る。

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