照国神社

照國神社[別格官幣社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

鹿児島駅の西南1.5km、城山山麓にあり、自動車の便があります。島津斉彬を祭神としています。斉彬は幕末の鹿児島藩主で、早くから西洋文化の研鑽に先鞭をつけ、反射炉を造り巨砲を鋳造し、薩摩火薬を創り、水雷、地雷、電信等の諸機械を研究しましたが、江戸時代末期の嘉永6年(1853年)幕府に献策して大船禁制を解かせ、翌年幕府の軍艦4艘を造って献じました。また勤王論を唱導しましたが、8年藩政にあたり、安政5年(1858年)7月没しました。文久2年(1862年)従三位を追贈され、翌年社殿を創建しました。明治2年(1869年)贈従一位の宣命あり、照国の神号を賜り、同6年(1873年)県社に、同15年(1882年)別格官幣社に加列し同34年5月正一位を追贈されました。社殿は明治15年の再建で、同41年(1908年)の改築を経たものです。境内に斉彬、久光、忠義の銅像が建っています。社宝の太刀は国宗の銘あり、島津忠重の寄進状一通を添え、国宝に指定されています。例祭は10月28日。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
照国神社

令和に見に行くなら

名称
照国神社
かな
てるくにじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
鹿児島県鹿児島市照国町19-35
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

鹿兒島驛の西南一粁半、城山々麓にあり、自動車の便がある。島津齊彬を祭神として居る。齊彬は幕末の鹿兒島藩主で、夙に西洋文化の硏鑽に先鞭をつけ、反射爐を造り巨砲を鑄造し、薩摩火藥を創め、水雷、地雷、電信等の諸機械を硏究したが、嘉永六年幕府に獻策して大船禁制を解かしめ、翌年幕府の軍艦四艘を造りて獻じた。また勤王論を唱導したが、藩政に當る事八年、安政五年七月薨じた。文久二年從三位を追贈せられ、翌年社殿を創建した。明治二年贈從一位の宣命あり、照國の神號を賜はり、同六年縣社に、同十五年別格官幣社に加列し同三十四年五月正一位を追贈せられた。社殿は明治十五年の再建で、同四十一年の改築を經たものである。境內に齊彬、久光、忠義の銅像が建つて居る。社寶の太刀は國宗の銘あり、島津忠重の寄進狀一通を添へ、國寶に指定せられて居る。例祭十月二十八日。

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