鹿児島市
鹿兒島市
昭和初期のガイド文
鹿児島、西鹿児島両駅所在地。鹿児島湾の西岸に位置し、東西約14.8kmですが、南北はこれよりも長くて15.2kmに達し、面積約78km²です。北西南の3面には丘陵多く、東面には平地連なり、甲突川が東流して海に注ぎ、市街を南北の2大部に分けています。
この地は雄藩島津氏の旧城下で、現在は県治の中心となり、近年伊敷村の一部を、昭和9年(1934年)中郡宇、西武田、吉野の3村を編入して市域を拡大しました。生産総額は昭和7年(1932年)に約1,200万円で、その9割5分は工産が占め、工産に蚕糸類、肥料等があります。薩摩焼、錫製品は有名ですが、産額は多くありません。港は開港になっていますが、取引額はまだ多くありません。航路は対岸の垂水、古江、薩南諸島の種子島、屋久島、大島、琉球列島の沖縄島等に達します。市内で最も繁華な通りは天文館通です。人口は17万4,000人。
※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 鹿児島市
- かな
- かごしまし
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 鹿児島県鹿児島市
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
鹿兒島、西鹿兒島兩驛所在地。鹿兒島灣の西岸に位し、東西約一四粁八であるが、南北はこれよりも長くて一五粁二に達し、面積約七八方粁である。北西南の三面には丘陵多く、東面には平地連なり、甲突川東流して海に注ぎ、市街を南北の二大部に分けて居る。
この地は雄藩島津氏の舊城下で、今は縣治の中心をなし、近年伊敷村の一部を、昭和九年中郡宇、西武田、吉野の三村を編入して市域を擴めた。生產總額は昭和七年に約一千二百萬圓で、その九割五分は工產が占め、工產に蠶絲類、肥料等がある。薩摩燒、錫製品は有名であるが、產額は多くない。港は開港になつて居るが、取引額は未だ少い。航路は對岸の垂水、古江、薩南諸島の種子島、屋久島、大島、琉球列島の沖繩島等に達する。市內で最も繁華な通は天文館通である。人口十七萬四千。