慈眼院

慈眼院[眞言宗御室派]

昭和初期のガイド文

阪和電鉄日根野の東南1.5km、日根野村日根野東上にあります。白鳳年間の草創と伝わり、古来から代々の勅願寺となり、武門の帰依が厚く、安土桃山時代の慶長7年(1602年)豊臣秀頼が堂宇を再建させたことがあります。金堂は薬師堂または毘沙門堂と呼ばれ、方三間、単層、屋根四注造、本瓦葺、鎌倉時代の簡素な建物です。多宝塔は鎌倉時代の文永8年(1271年)の建立となり三間二層、屋根本瓦葺、小形ですが、全体の形態がよく整い、手法は高雅で均衡がとれ、蟇股の形状は斗拱の構架に見るべき点があり、鎌倉中期の多宝塔として優作です。現在ともに国宝に指定されています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
慈眼院
かな
じげんいん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府泉佐野市日根野626
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

阪和電鐵日根野の東南一粁半、日根野村日根野東上にある。白鳳年閒の草創と傳へ、古より代々の敕願寺となり、武門の歸依厚く、慶長七年豐臣秀賴堂宇を再造せしことあり。金堂は藥師堂または毘沙門堂と稱し、方三閒、單層、屋根四注造、本瓦葺、鐮倉時代の簡單な建物である。多寶塔は文永八年の建立にかゝり三閒二層、屋根本瓦葺、小形であるが、全體の形態よく整ひ、手法高雅にして良く權衡を保ち、蟇股の形狀斗拱の構架頗る見るべき點あり、鐮倉中期の多寶塔として優作である。今共に國寶に指定されて居る。

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