貝塚町

貝塚町
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

岸和田市の南に接して大阪湾に臨み、南海、阪和および水間三鉄道の便があります。昭和6年(1931年)麻生郷、島、北近義、南近義の4村を合併したので、東西4kmあまり、南北約6km、面積12km²あまりあります。地勢はおおむね平坦、農産物の栽培に適し、紡績、織物、窯業等の工場があります。町内の願泉寺は世に貝塚御坊と呼ばれ、行基僧正の開基で、後に卜半和尚が中興して真宗に改め顕如上人を迎え、そのため十戸の漁村だった村はたちまち300人ともなったといいます。現在の人口約2万4,000人。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
貝塚町
かな
かいづかちょう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
備考
現在の貝塚市です。
住所
大阪府貝塚市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

岸和田市の南に接して大阪灣に臨み、南海、阪和及水閒三鐵道の便を有する。昭和六年麻生鄉、島、北近義、南近義の四村を合倂したので、東西四粁餘、南北約六粁、面積一二方粁餘ある。地勢槪して平坦、農產物の栽培に適し、紡績、織物、窯業等の工場がある。町內の願泉寺は世に貝塚御坊と呼ばれ、行基僧正の開基で、後卜半和尙が中興して眞宗に改め顯如上人を迎へ、爲に十戶の漁村は忽にして三百の邑となつたと傳ふ。今人口約二萬四千。

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