堺港

堺港
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

南蛮貿易時代の堺港は南海鉄道本線七道駅付近でしたが、江戸時代中期の宝永元年(1704年)大和川の開鑿以来急に埋もれ、現在では海岸まで1km以上の距離があります。現在の堺港は吉川俵右衛門が徳川幕府の許可を得て、江戸時代後期の寛政3年(1791年)これより南に起工し、文化7年(1810年)に南湾、南北の大波止、堅川筋の堀割等を竣成したもので、その後何度か改修しましたが、大型の船は出入りしづらいところです。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
堺港
かな
さかいこう
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
戦災や工業地帯造成により、港の機能としては現在ありません。周辺には旧堺燈台、台場跡などの遺構を見ることができます。

日本案内記原文

南蠻貿易時代の堺港は南海鐵道本線七道驛附近であつたが、寶永元年大和川の開鑿以來急に埋れ、今日では海岸まで十數町の距離を有して居る。現在の堺港は吉川俵右衞門が德川幕府の許可を得て、寬政三年これより南方に起工し、文化七年に南灣、南北の大波止、堅川筋の堀割等を竣成したのに基き、その後屢改修したものであるが、大船は出入し難い。

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