孝恩寺(木積観音)

孝恩寺(木積觀音堂)[群土宗]

昭和初期のガイド文

水間鉄道水間駅の東南1.5km、西葛城村木積にあります。行基菩薩開基の49院のひとつと伝えられ、古くは大伽藍でしたが、戦国の頃兵火に遭い、安土桃山時代の天正13年(1585年)豊臣秀吉の根来攻めの時、山がまるごと兵火により燃え、観音堂だけが残ったといいます。

観音堂[国宝] 所在地の地名に由来し木積観音堂と呼ばれ、また釘を使用しない構造だとして木積の釘無堂ともいいます。方五間、単層、屋根四注造、和様、唐様、天竺様の交雑した特異の形式手法になり、本瓦葺、四注屋根の末端が大きく反転し、和様出組の枡組と蟇股とをもって支え、正面は中央三間桟唐戸を設け、低い廻縁を施しています。外観は釣り合いが美しく、荘重の姿態をもっています。内部は周囲一間通り化粧屋根裏、ほかは鏡天井としてあり、内陣の仏壇に本尊阿弥陀如来坐像および両脇侍立像その他を安置し、鎌倉時代の建築です。

  • 宝物
  • 文殊菩薩立像[国宝] 木造 高五尺五寸余 一躯
  • 釈迦如来坐像[国宝] 木造 高二尺八寸五分 一躯
  • 薬師如来立像[国宝] 木造 高五尺一寸余 一躯
  • 弥勒菩薩坐像[国宝] 木造 高二尺七寸余 一躯
  • 聖観音立像[国宝] 木造 高五尺一寸余 一躯
  • 聖観音立像[国宝] 木造 高五尺四寸余 一躯
  • 十一面観音立像[国宝] 木造 高五尺二寸余 一躯
  • 地蔵菩薩立像[国宝] 木造 高四尺四寸余 一軀
  • 虚空蔵菩薩立像[国宝] 木造 高五尺五寸四分 一軀
  • 普賢菩薩立像[国宝] 木造 高五尺四寸四分 一軀
  • 難陀竜王立像[国宝] 木造 高五尺三寸九分 一軀
  • 跋難陀竜王立像[国宝] 木造 高五尺五寸 一軀
  • 多聞天立像[国宝] 木造 高五尺二寸五分 一軀
  • 帝釈天立像[国宝] 木造 高五尺四寸六分 一軀
  • 弁才天立像[国宝] 木造 高三尺八寸余 一軀
  • 以上15体はいずれも地方的特色のある素朴で剛健な一木造、就中文殊菩薩は優れた傑作で、金銅宝冠、玉の飾りや精巧な彩色文様も見られます。平安時代から藤原時代におよぶ優品です。このような多数の特異な仏像が遺存することに昔の繁栄が偲ばれます。
  • 天部像[国宝] 木造 板絵著色 一面
  • 挙身光背形の高さ112cmの板に直立した天部像と、周囲の火焰を描いたもので、素朴な一種の画風を示し、正しく平安前期の作です。背面の神亀三年云々の墨書は後世の記入です。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
孝恩寺(木積観音)
かな
こうおんじ(こつみかんのん)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府貝塚市木積798
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

水閒鐵道水閒驛の東南一粁半、西葛城村木積にある。行基菩薩開基の四十九院の一と傳へられ、往古は大伽藍であつたが、戰國の頃兵火に罹り、天正十三年豐臣秀吉の根來攻めの時、一山兵火にかゝりて觀音堂のみを遺したと云ふ。

觀音堂[國寶] 所在地の地名に由り木積觀音堂と呼び、また釘を使用せぬ構作であるとて木積の釘無堂とも云ふ。方五閒、單層、屋根四注造、和樣、唐樣、天竺樣の交雜した特異の形式手法に成り、本瓦葺、四注屋根の末端著しく反轉し、和樣出組の枡組と蟇股とを以て支へ、正面は中央三閒棧唐戶を設け、低き廻緣を施して居る。外觀權衡頗る美にして、莊重の姿態を有して居る。內部は周圍一閒通り化粧屋根裏、他は鏡天井となし、內陣の佛壇に本尊阿彌陀如來坐像及び兩脇侍立像その他を安置し、鐮倉時代の建築である。

  • 寶物
  • 文殊菩薩立像[國寶] 木造 高五尺五寸餘 一躯
  • 釋迦如來坐像[國寶] 木造 高二尺八寸五分 一躯
  • 藥師如來立像[國寶] 木造 高五尺一寸餘 一躯
  • 彌勒菩薩坐像[國寶] 木造 高二尺七寸餘 一躯
  • 聖觀音立像[國寶] 木造 高五尺一寸餘 一躯
  • 聖觀音立像[國寶] 木造 高五尺四寸餘 一躯
  • 十一面觀音立像[國寶] 木造 高五尺二寸餘 一躯
  • 地藏菩薩立像[國寶] 木造 高四尺四寸餘 一軀
  • 虛空藏菩薩立像[國寶] 木造 高五尺五寸四分 一軀
  • 普賢菩薩立像[國寶] 木造 高五尺四寸四分 一軀
  • 難陀龍王立像[國寶] 木造 高五尺三寸九分 一軀
  • 跋難陀龍王立像[國寶] 木造 高五尺五寸 一軀
  • 多聞天立像[國寶] 木造 高五尺二寸五分 一軀
  • 帝釋天立像[國寶] 木造 高五尺四寸六分 一軀
  • 辨才天立像[國寶] 木造 高三尺八寸餘 一軀
  • 以上十五軀は何れも地方的特色ある素撲剛健な一木造、就中文殊菩薩は勝れた傑作で、金銅寶冠、纓絡や精巧な彩色文樣さへ存して居る。平安時代から藤原時代に及ぶ優品である。かゝる多數の特異の佛像の遺存することに依つて昔の盛觀が偲ばれる。
  • 天部像[國寶] 木造 板繪著色 一面
  • 擧身光背形の高三尺七寸の板に直立した天部像と、周圍の火焰を描いたもので、素朴な一種の畫風を示し、正しく平安前期の作である。背面の神龜三年云々墨書は後世の記入である。

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