水間寺(水間観音)

水閒觀音堂[天臺宗]

昭和初期のガイド文

阪和電鉄和泉橋本の東南4km、水間鉄道を利用するならその終点水間駅から南300m、木島村水間にあります。奈良時代の天平16年(744年)聖武天皇の勅命を受け、厄難消除のため行基僧正がこの地に伽藍を建立して、高さ5cmほどの閻浮壇金聖観音像を祀ったと伝わります。俗に厄除観音と呼ばれ、2月の節分と初午とには参拝者が多いところです。愛染堂前に安土桃山時代の慶長3年(1598年)の銘のある宝篋印塔があり、俗にお夏清十郎の墓といって、縁結びの守護神として、遠くからも参詣者が訪れます。観音堂の背後にある遊園地は松、ツツジ、紅葉、桜等が多く、大運動場もあり、眺望がよいところです。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
水間寺(水間観音)
かな
みずまでら(みずまかんのん)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府貝塚市水間638
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

阪和電鐵和泉橋本の東南四粁水閒鐵道によればその終點水閒驛から南三〇〇米、木島村水閒にあり。天平十六年聖武天皇の敕命を受け、厄難消除のため行基僧正がこの地に伽藍を建立して、高さ一寸八分閻浮壇金聖觀音像を祀つたと傳ふ。俗に厄除觀音と稱して、二月の節分と初午とには參拜するものが多い。愛染堂前に慶長三年の銘ある寶篋印塔があり、俗にお夏淸十郞の墓と云つて、緣結びの守護神として、遠近男女の信仰が厚い。觀音堂の背後にある遊園地は松、躑躅、紅葉、櫻等多く、大運動場もあり、眺望がよい。

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