松尾寺

松尾寺[天臺宗]

昭和初期のガイド文

阪和電鉄和泉府中の東南約6km、南松尾村松尾寺にあります。松尾観音と呼ばれ、役小角の開基で、越の泰澄の中興と伝わります。古くから朝廷勅願の寺で、泉州随一の古刹です。安土桃山時代の天正中(1573~1592年)織田氏によって破却され、慶長7年(1602年)豊臣秀頼が再興しました。本尊は如意輪観音です。寺宝の宝篋印陀羅尼経一巻は紙本墨書後亀山天皇の宸筆で、光賢の裏書があり、室町時代の応永3年(1396年)2月25日光賢の寄進状一巻を添えてあります。宸筆宝篋印陀羅尼の裏書には、

今年二月十一日応永三丙子相当先師大僧正教賢十三回忌辰大覚寺仙洞為彼亡魂道福染震翰及被物等拝領畢就中当山門桑等設無遮之大会祈幽儀之得脱之条懇志之至難主記者也仍為彼報謝奉納松尾寺一切経蔵而巳

とあり、それに光賢が寄進状を添えて、松尾寺灌頂方に伝えたもので、この光賢僧正は南朝に深い関係があった人でしたので、当時松尾寺が久米田寺とともに南朝方だったことが想像できます。

同じく寺宝の紙本墨書如意輪陀羅尼経一巻には次の奥書がある。

建武二年十二月廿三日令相伝之此当流最上神尊也仍此経可為甚密勝本者也付法人可伝受之 法務僧正弘真(花押)生歳五十八 高筆也(別筆) 弘安四年八月三日伝得之宿縁甚深感緒殊深尤泰崇敬而巳

すなわちこの奥書は弘真(文観)の自筆で、この経が大師の真筆になるものとして伝わっていたことを記しているものです。弘真が後醍醐天皇に忠誠を尽くした関係から、この経がこの寺に存することは、一層深い相互の因縁を語る重要な史料で、二巻とも国宝となっています。このほかに後醍醐天皇や後村上天皇の綸旨が10通と、鎌倉時代から足利時代にわたって寺領に関する文書が多く残っていて、当時の寺運の隆盛が偲ばれます。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
松尾寺
かな
まつおでら
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府和泉市松尾寺町2168
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同府中の東南約六粁、南松尾村松尾寺にあり。松尾觀音と俗稱し、役小角の開基で、越の泰澄の中興と傳ふ、往昔朝廷敕願の寺であつて、泉州隨一の古刹である。天正中織田氏の爲に破卻せられ慶長七年豐臣秀賴が再興した。本尊は如意輪觀音である。寺寶の寶篋印陀羅尼經一卷は紙本墨書後龜山天皇の宸筆で、光賢の裏書あり、應永三年二月廿五日光賢の寄進狀一卷を添へてある。宸筆寶篋印陀羅尼の裏書には、

今年二月十一日應永三丙子相當先師大僧正敎賢十三回忌辰大覺寺仙洞爲彼亡魂道福染震翰及被物等拜領畢就中當山門桑等設無遮之大會祈幽儀之得脫之條懇志之至難主記者也仍爲彼報謝奉納松尾寺一切經藏而巳

とあり、それに光賢が寄進狀を添へて、松尾寺灌頂方に下知したのであつて、この光賢僧正は南朝に深い關係を有する人であるから、當時松尾寺が久米田寺と共に南朝方であつたことが想像せられる。

同じく寺寶の紙本墨書如意輪陀羅尼經一卷には次の奧書がある。

建武二年十二月廿三日令相傳之此當流最上神尊也仍此經可爲甚密勝本者也付法人可傳受之 法務僧正弘眞(花押)生歲五十八 高筆也(別筆) 弘安四年八月三日傳得之宿緣甚深感緖殊深尤泰崇敬而巳

卽ちこの奧書は弘眞(文觀)の自筆で、この經が大師の眞筆にかゝるものとして相傳して居たことを記して居るのである。弘眞が後醍醐天皇に忠誠を致した關係から、この經の當寺に存することは、一層深い相互の因緣を語る有用の史料で、二卷共國寶である。この外に後醍醐天皇や後村上天皇の綸旨が十通と、鐮倉時代から足利時代に亙つて寺領に關する文書が尠からず遺つて居て、當時寺運の隆盛が偲ばれる。

和泉地方のみどころ