泉穴師神社

泉穴師神社[府社]

昭和初期のガイド文

阪和電鉄和泉府中の西北1km、穴師村豊中にあります。我孫子と呼ばれ、創始の年月は明らかでありませんが、式内の古社に属し、一時衰退したのを後に豊臣秀頼が安土桃山時代の慶長7年(1602年)、片桐東市正且元に修理させました。社宝の木造神像83体のうち、天忍穂耳命坐像は東御殿に安置され、西御殿に安置されている栲幡千々姫命坐像、その他男神坐像女神坐像5体とともに国宝に指定されています。神像はいずれも藤原時代の作品で頭部が大きく、体躯は比較的小さく、形相は簡古、男神像は衣冠把笏の坐像、女神像は色彩を施し、頭部半垂で小髷を結び、衣袖広く裳を穿ち、衣には着色または截金をもって菱形、籠の目等の模様を付けています。虫封じの効験があるということで参詣者が絶えないところです。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
泉穴師神社
かな
いずみあなしじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府泉大津市豊中町1-1-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

阪和電鐵和泉府中の西北一粁、穴師村豐中にある。我孫子と俗稱し、創始の年月は詳かでないが、式內の古社に屬し、一時衰退したのを後豐臣秀賴、慶長七年片桐東市正且元をして修理せしめた。社寶の木造神像八十三躯のうち、天忍穗耳命坐像は東御殿に安置せられ、西御殿に安置される栲幡千々姬命坐像、その他男神坐像女神坐像五軀と共に國寶に指定されて居る。神像はいづれも藤原時代の作品で頭部大に、體躯比較的小、形相簡古、男神像は衣冠把笏の坐像、女神像は色彩を施し、頭部半垂で小髷を結び、衣袖濶く裳を穿ち、衣には着色または截金を以て菱形、籠の目等の模樣を附して居る。蟲封じの效驗が著しいと云ふので參詣者が絕えない。

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