願泉寺

願泉寺[眞宗大谷派]

昭和初期のガイド文

南海電車本線貝塚の北0.5km、貝塚町にあります。真宗門徒新川卜半の建てた念仏道場で、安土桃山時代の天正年中(1573~1592年)石山本願寺が織田氏と交争した頃、卜半は泉州門徒の巨魁でした。顕如上人が石山を退去して紀州雑賀に向かう際に卜半がこれを救護し、上人がしばしば往来、天正11年(1583年)7月、一時ここに住んで貝塚御坊と呼びましたが、13年(1585年)大阪天満に移ると卜半を後見とし、願泉寺と号しました。寺宝に文書類を多数所蔵し、また鎌倉時代の貞応3年(1224年)2月在銘の鐘があります。元大和大福寺の鐘で、室町時代の康正2年(1456年)水間寺の所有となり、さらに天正13年この寺の所有となった旨の追記銘が刻まれています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
願泉寺
かな
がんせんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府貝塚市中町5-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

南海電車本線貝塚の北半粁、貝塚町にある。眞宗門徒新川卜半の建てた念佛道場で、天正年中石山本願寺織田氏と交爭の頃、卜半は泉州門徒の巨魁であつた。顯如上人石山を退去して紀州雜賀に赴くに及び卜半救護に力め、上人屢往來し、天正十一年七月、一時こゝに止住して貝塚御坊と呼んだが、十三年大阪天滿に移るや卜半を以て看坊となし、願泉寺と號した。寺寶に文書類を尠からず藏し、また貞應三年二月在銘の鐘がある。元大和大福寺の鐘で、康正二年水閒寺の有となり、更に天正十三年この寺の所有となつた旨の追記銘をそれぞれ刻して居る。

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