土州十一烈士の墓

土州藩十一烈士墓

昭和初期のガイド文

妙國寺の北隣宝珠院にあります。明治元年(1868年)1月15日、堺警備の任にあたっていた土佐藩士とフランス人水兵との争闘の責任者として死を命じられた二十士のうち、隊長箕浦猪之吉以下11名が妙国寺境内で切腹を遂げ、その遺骸をここに葬ったものです。残りの9名は立ち会っていたフランス人が切腹の悲惨さを見るにたえず、これを差止めたといいます。当院に金光寺紫藤があります。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
土州十一烈士の墓
かな
とさじゅういちれっしのはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府堺市堺区宿屋町東3-2 宝珠院内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

妙國寺の北鄰寶珠院にあり。明治元年正月十五日堺警備の任に當つた土佐藩士と佛國水兵との爭鬪の責任者として死を賜はつた二十士の中、隊長箕浦猪之吉以下十一名妙國寺境內に於て割腹を遂げた、その遺骸をこゝに葬つたものである。殘の九名は立會の佛人が切腹の悲壯を見るに堪へざるためこれを差止めたと云ふ。當院に金光寺紫藤がある。

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