浄光明寺
昭和初期のガイド文
鎌倉駅の北約1km、扇谷山の麓にあります。鎌倉時代の建長3年(1251年)北条長時の創建で、真阿上人をもって開山としました。
本尊の阿弥陀三尊坐像は寄木造玉眼で阿弥陀堂内に安置されています。中尊は結跏趺坐の像で、高さ1.4m、上品中生の印を結び、面貌は豊満で頭上に宝冠を戴き、衣にはところどころに土紋を施しているのは時代ならびに地方の流行を物語るものとして面白いものです。彩色はわずかに残存しますが全面に下地の布と褐色のさびが残っています。脇侍の観音勢至の像は足を投げ出して座り衣に複雑なひだを畳み、首を内側に傾けています。いずれも鎌倉時代中期の一派の様式特徴をもち国宝に指定されています。
背後の山腹には石地蔵の坐像があり、その背に次の銘文が刻まれています。
供養導師仙長老 正和二年十一月 施主真覚
なお山頂には有名な鎌倉時代の歌人、冷泉為相の墓があります。水戸光圀の再建となる宝篋印塔で史蹟に指定されています。
令和に見に行くなら
- 名称
- 浄光明寺
- かな
- じょうこうみょうじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 神奈川県鎌倉市扇ガ谷2-12−1
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の北約一粁、扇谷山の麓にある。建長三年北條長時の創建で、眞阿上人を以て開山とした。
本尊阿彌陀三尊坐像は寄木造玉眼で阿彌陀堂內に安置されて居る。中尊は結跏趺坐の像で、高さ一米四(四尺六寸徐)、上品中生の印を結び、面貌豐滿にして頭上に寶冠を戴き、衣には所々に土紋を施して居るのは時代竝に地方の好尙を語るものとして面白い。彩色は僅かに殘存するも全面に下地の布と褐色のさびが殘つて居る。脇侍觀音勢至の像は箕坐して複雜な褶襞を疊み、首を內側に傾けて居る。何れも鐮倉時代中期の一派の樣式特徵を有し國寶に指定されて居る。
後の山腹には石地藏の坐像があり、その背に次の銘文が刻されて居る。
供養導師仙長老 正和二年十一月 施主眞覺
尙山頂には有名なる鐮倉時代の歌人冷泉爲相の墓がある。水戶光圀の再建にかゝる寶篋印塔で史蹟に指定されて居る。