建長寺

建長寺[臨濟宗建長寺派本山]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

鎌倉駅の北約2km、鎌倉時代の建長5年(1253年)北条時頼の創建で、開山は宋の大覚禅師(諱は道隆、号は蘭渓)です。鎌倉五山の第一として古来から有名な禅門の巨刹です。鎌倉時代の往時に建立された建築物で現代まで残っているものはありませんが、後世の再建となる三門、本堂、法堂、唐門、方丈、書院、昭堂、開山堂、禅堂などを有しています。

本堂(仏殿)[国宝] 江戸時代前期の正保3年(1646年)徳川家光が崇源院殿の御霊屋を移して寄附したものです。五間五面重層四注造銅板葺、桝組は上層に唐様四手先を用い、下層には出三斗を組んでいます。下層の正面には軒唐破風があります。内部は随所に極彩色の装飾を施し、天井の格間には金地に鳳凰を描くなど、江戸時代初期における華麗な廟建築の代表的な遺構です。殿内には本尊の地蔵菩薩を安置し、さらに脇仏壇には国宝北条時頼の木像が安置されています。

法堂 仏殿の後方にあり、五間五面重層入母屋造、内部は瓦敷で江戸時代後期の文化年間(1804~1818年)の建築です。

唐門[国宝] 方丈の正門で、正保3年徳川家光が仏殿と同時に移建したものです。その形式は向唐門で、各部に施された華麗な装飾には、桃山時代の風習を感じさせるものがあります。

昭堂(礼堂)[国宝]室町時代の長禄2年(1458年)の建築となり、五間五面単層四注造茅葺、桝組は三斗出組を用い、柱間は正面三間に桟唐戸をたて、その両端の柱間には火灯窓を設け、内部は土間とし、左右後壁に接して脇仏壇があり、室町時代の清淡な趣味を現した禅宗建築です。

  • 宝物
  • 大覚禅師像[国宝] 一幅 絹本著色 霊石如芝の賛があります。
  • 大覚禅師画像[国宝] 一幅 絹本著色 自画自賛 長さ約1m、高座に座った説法相の像です。痩身で温厚な様子も一種辛辣な風貌を現しています。
  • 大覚禅師法語規則 紙本墨書[国宝]二幅
  • 建長寺勧進牒 一巻 永正の奥著があります。
  • 過去帳 三冊 正嘉丁巳の条に「八月廿三日戌時大地震破水湧出」とあります。
  • 十六羅漢像[国宝]八幅 絹本著色 兆殿司筆 鎌倉国宝館出陳
  • 釈迦三尊像[国宝]一幅 絹本著色伝張思恭筆
  • 喜江禅師像[国宝]一幅 絹本墨書 玉隠叟永璵賛
  • 観世音像[国宝]三十二幅 絹本墨書
  • 大覚禅師諷誦文 一幅 紙本墨書文中に弟子時宗云々とあります。
  • 和漢年代記[国宝]二冊 足利時代初世に禅僧の手で編纂された古い年代記として珍重すべきものです。
  • 西来庵修造勧進状[国宝]一巻 永正内子四月廿四日玉隠筆 永正丙子は13年ですが、浄智寺にも前年乙亥に書いた書々同文のものがあります。西来庵は建長寺開山大覚禅師の住んでいた寺で、この頃荒廃していたのを修造するための勧進状で、玉隠永璵は当代の学僧です。
  • 髹漆須弥壇[国宝]一基 禅宗的須弥壇でその中腹北面にある獅子牡丹の彫刻は特に注目すべきところです。その彫法は立体でも半肉でもなくほぼ平面で、しかも姿かたちがよく現れたもので、上に朱黒両種の漆が塗ってあります。これがいわゆる鎌倉彫で、建長寺創立当時のもので現存する鎌倉須弥壇のなかでも最古の鎌倉彫です。
  • 銅鐘[国宝]一口 鎌倉時代の建長7年(1255年)の銘があります。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
建長寺
かな
けんちょうじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県鎌倉市山ノ内8
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の北約二粁、建長五年北條時賴の創建にかゝり、開山は宋の大覺禪師(諱は道隆、號は蘭溪)である。鐮倉五山の第一にして古來著名なる禪門の巨刹である。鐮倉時代の盛時に建立されたる建築物の今日に存するものはないが、後世の再建にかゝる三門、本堂、法堂、唐門、方丈、書院、昭堂、開山堂、禪堂などを有して居る。

本堂(佛殿)[國寶] 正保三年德川家光が崇源院殿の御靈屋を移して寄附したものである。五閒五面重層四注造銅板葺、桝組は上層に唐樣四手先を用ゐ、下層には出三斗を組んで居る。下層の正面には軒唐破風がある。內部は隨所に極彩色の裝飾を施し、天井の格閒には金地に鳳凰を描けるなど、江戶時代初期に於ける華麗なる廟建築の一代表的遺構である。殿內には本尊地藏菩薩を安置し、尙脇佛壇には國寶北條時賴の木像が安置されて居る。法堂 佛殿の後方にあり、五閒五面重層入母屋造、內部は瓦敷で文化年閒の建築である。

唐門[國寶] 方丈の正門で、正保三年德川家光が佛殿と同時に移建したものである。その形式は向唐門で、各部に施された華麗な裝飾には、桃山時代の遺制を窺ふべきものがある。

昭堂(禮堂)[國寶]長祿二年の建築にかゝり、五閒五面單層四注造茅葺、桝組は三斗出組を用ゐ、柱閒は正面三閒に棧唐戶をたて、その兩端の柱閒には火燈窓を設け、內部は土閒とし、左右後壁に接して脇佛壇があり、室町時代の淸淡な趣味を現はした禪宗建築である。

  • 寶物
  • 大覺禪師像[國寶] 一幅 絹本著色 靈石如芝の贊あり。
  • 大覺禪師畫像[國寶] 一幅 絹本著色 自畫自贊 長約一米(三尺五寸)高座に坐せる說法相の像である。瘦躯にして溫厚なる如きも一種辛辣なる風貌を現はして居る。
  • 大覺禪師法語規則 紙本墨書[國寶]二幅
  • 建長寺勸進牒 一卷 永正の奧著あり
  • 過去帳 三册 正嘉丁巳の條に「八月廿三日戌時大地震破水湧出」とある。
  • 十六羅漢像[國寶]八幅 絹本著色 兆殿司筆 鐮倉國寶館出陳
  • 釋迦三尊像[國寶]一幅 絹本著色傳張思恭筆
  • 喜江禪師像[國寶]一幅 絹本墨書 玉隱叟永璵贊
  • 觀世音像[國寶]三十二幅 絹本墨書
  • 大覺禪師諷誦文 一幅 紙本墨書文中に弟子時宗云々とある。
  • 和漢年代記[國寶]二册 足利時代初世に禪僧の手で編纂された古い年代記として珍重すべきものである。
  • 西來庵修造勸進狀[國寶]一卷 永正內子四月廿四日玉隱筆 永正丙子は十三年であるが、淨智寺にも前年乙亥に書いた書々同文のものがある。西來庵は建長寺開山大覺禪師の住んで居た寺で、この頃荒廢して居たのを修造せんための勸進狀で、玉隱永璵は當代の學僧である。
  • 髹漆須彌壇[國寶]一基 禪宗的須彌壇でその中腹北面にある獅子牡丹の彫刻は特に注意すべき點である。その彫法は立體に非らず半肉にあらず殆ど平面であつて、しかも物象のよく現れたもので、上に朱黑兩種の漆が塗付してある。これが所謂鐮倉彫で建長寺創立當時のものであつて現存する鐮倉須彌壇中最古の鐮倉彫である。
  • 銅鐘[國寶]一口 建長七年の銘がある

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