源頼朝の墓

源賴朝墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

鶴岡八幡宮の東北約0.5km、大蔵山の中腹にあります。方形の台石の上に五輪塔の蓋石を五枚積み重ねた形をしていて、江戸時代に島津重豪が手入れしたものと伝わります。頼朝は鎌倉時代の正治元年(1199年)に没し法号を武皇嘯厚大禅門といいました。なお同じ山腹に大江広元、島久忠久の墓があります。頼朝の墓は指定の史蹟となっています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
源頼朝の墓
かな
みなもとのよりとものはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県鎌倉市西御門2-5
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

鶴岡八幡宮の東北約半粁、大藏山の中腹にあり。方形の臺石の上に五輪塔の蓋石を五枚積み重ねた形をなし、江戶時代に島津重豪の手入れしたものと云ふ。賴朝は正治元年に薨じ法號を武皇嘯厚大禪門と云つた。尙同じ山腹に大江廣元及島久忠久の墓がある。賴朝墓は指定の史蹟である。

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