宝戒寺

寶戒寺[天臺宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

鶴岡八幡宮三ノ鳥居の東約400m、屏風山の麓にあり、駅から自動車の便があります。建武元年(1334年)足利尊氏が北条氏の冥福を祈るためその館の跡に建てた寺で、開山は円観僧正です。本尊地蔵菩薩の坐像は玉眼入り寄木造で彩色があり、ところどころに土製の花紋が残っています。鎌倉時代末期の様式を示す作で国宝に指定されています。胸部の内面に次の文が朱書されています。

関東宝戒寺 三条法印憲園造 貞治四年乙巳五月 日

本尊の左右には大きな梵天、帝釈の立像があり、いずれも木造で彩色が残っています。地蔵菩薩の像と同時代のものです。

  • 宝物
  • 惟賢和尚坐像[国宝] 本堂内にあり高さ約60cm、膝の上に両手を重ね、正面を静視し泰然自若とした老僧の相貌を現した像で、胎内に籠められた像主自筆の造像記から、この像が惟賢84歳の寿像であることが知られています。また頭部内面に「いよのほうけんぶつしちやうけい」の墨書があります。惟盛は尊氏の第二子で円観僧正に従って僧となり、宝戒寺第二世の住職となりました。なおこの寺には国宝の歓喜天木像があり、等身大の像で彫法粗放で一種の気力を備えた珍らしい像ですが、秘仏で扉が開くことはありません。

寺の後方、屏風山の中腹には、鎌倉時代の元弘3年(1333年)北条氏が滅亡した際、高時一門が自殺した東勝寺の跡があって、現代では腹切矢倉と呼ばれる窟があります。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
宝戒寺
かな
ほうかいじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県鎌倉市小町3-5
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

鶴岡八幡宮三ノ鳥居の東約四〇〇米、屏風山の麓にあり、驛より自動車の便がある。建武元年足利尊氏が北條氏の冥福を祈るためその邸址に建てた寺で、開山は圓觀僧正である。本尊地藏菩薩の坐像は玉眼入り寄木造で彩色を存し、所々に土製の花紋が遺つて居る。鐮倉時代末期の樣式を示す作で國寶に指定されて居る。胸部の內面に左の文が朱書されて居る。

關東寶戒寺 三條法印憲園造 貞治四年乙巳五月 日

本尊の左右には大なる梵天、帝釋の立像があり、何れも木造で彩色が殘つて居る。地藏菩薩の像と同時代のものである。

  • 寶物
  • 惟賢和尙坐像[國寶] 本堂內にあり高さ約六〇糎(二尺)膝の上に兩手を重ね、正面を靜視し泰然自若たる老僧の相貌を現はした像で、胎內に籠められた像主自筆の造像記によつて、この像が惟賢八十四歲の壽像であることが知られる。また頭部內面に「いよのほうけんぶつしちやうけい」の墨書がある。惟盛は尊氏の第二子で圓觀僧正に從ひ僧となり、寶戒寺第二世の住職となつた。尙當寺には國寶の歡喜天木像がある。等身大の像で彫法粗放一種の氣力を備へた珍らしい像であるが、祕佛で開扉を許さない。

寺の後方屏風山の中腹には、元弘三年北條氏が滅亡の際高時一門の自殺した東勝寺の址があつて、今に腹切矢倉と稱する窟がある。

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