慈光寺

慈光寺[天臺宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

東武鉄道東上線小川町駅の南6km、比企郡平村慈光寺山の山腹にあり、山麓まで自動車の便があります。そこから徒歩約1.5km、奈良時代の延暦年間(782~806年)釈道忠の創建と伝わっています。鎌倉時代になって源頼朝が深くこの寺に帰依して、治承3年(1179年)早くも伊豆から使を遣して、梵鐘を寄進し、文治5年(1189年)奥州征伐に際しては日頃敬礼している愛染明王の像をこの寺に送って祈祷させ、鎌倉に凱旋の後には供米を献じたことがあります。次の寺宝のほか、参道のそばには鎌倉時代の大きな板碑が数枚立っています。

  • 宝物
  • 大般若経[国宝] 百五十二巻 この経は文永7年(1270年)の筆者目録によると鎌倉初期のもので序品は御所とあるため後鳥羽天皇の宸翰と思われ、信解品は中宮宜秋門院であり、その他門院の父月輪兼実を始め良経、兼房等九条松殿一族家臣女房の筆となります。いずれも意匠を凝らし装飾の模様は一巻ごとに趣向を異にし表紙見返しにも絵画があって、安芸巌島の平家納経や駿河久能寺経に次ぐ貴重なものです。毎巻無灾殃而不消無福楽而不成者般若之金言真空之妙典被称諸仏之父母聖賢之師範也所以至誠泰大般若経一部六百巻三世大覚十方賢聖咸共証明我現当之勝願必定成就貞観十三年歳次辛卯三月三日己酉檀主前上野国権大目従六位下安部朝臣小水麿の奥書があります。平安時代の古写経がこのように多数伝来していることは貴重なことですが、後世に雨露の被害があり完璧なものが少ないのが惜しいところです。
  • 法華経[国宝] 二十九巻(内五巻後補)
  • 観普賢経[国宝] 一巻
  • 無量義経[国宝] 一巻
  • 般若心経[国宝] 一巻
  • 文永の筆者目録一巻および寛政の補写目録一巻添 以上東京帝室博物館出陳
  • ほかに絹本著色、天海の賛がある家康画像、天海僧正画像、弘長2年(1262年)の銘文がある高さ2.8mの板碑、大聖文殊永仁三年丙申十月仏師光慶大勧進金剛の胎内銘がある伝釈道忠木像などがあります。
  • 銅鐘[国宝] 一口 銘 奉治鋳六尺椎鐘 一口 天台別院 慈光寺 大勧進遍照金剛 深慶 善知識入唐沙門 妙空 大工物部 重光 寛元三年乙巳五月十八日辛亥 願主権律師法橋上人位栄朝 銅一千二百庁
  • 栄朝は上州世良田長楽寺の開山であって、深慶、妙空はともにこの寺の住僧です。特に妙空が入唐沙門と記されているのは珍しく、大工物部重光は当時有名な鎌倉の鋳工で建長寺の梵鐘もこの人の作です。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
慈光寺
かな
じこうじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
埼玉県比企郡ときがわ町大字西平386
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同小川町驛の南六粁、比企郡平村慈光寺山の山腹にあり、山麓まで自動車の便がある。それより徒步約一粁半、延曆年閒釋道忠の創建と傳へて居る。鐮倉時代になつて源賴朝深く當寺に歸依して、治承三年早くも伊豆から使を遣して、梵鐘を寄進し、文治五年奧州征伐に際しては日頃敬禮せる愛染明王の像を當寺に送りて祈祷をなさしめ、鐮倉に凱旋の後には供米を獻じたことがある。左記寺寶の外、參道の傍には鐮倉時代の大なる板碑が數枚立つて居る。

  • 寶物
  • 大般若經[國寶] 百五十二卷 この經は文永七年筆者目錄によるに鐮倉初期のもので序品は御所とあるから後鳥羽天皇の宸翰なるべく、信解品は中宮宜秋門院であり、その他門院の父月輪兼實を始め良經、兼房等九條松殿一族家臣女房の筆である。いづれも意匠を凝らし裝飾の模樣は一卷每に趣向を異にし表紙見返にも繪畫があつて、安藝巖島の平家納經駿河久能寺經に次ぐべき貴重なものである。每卷無灾殃而不消無福樂而不成者般若之金言眞空之妙典被稱諸佛之父母聖賢之師範也所以至誠泰大般若經一部六百卷三世大覺十方賢聖咸共證明我現當之勝願必定成就貞觀十三年歲次辛卯三月三日己酉檀主前上野國權大目從六位下安部朝臣小水麿の奧書がある。平安朝の古寫經のかく多數に傳來せることは珍重すべきであるが、惜しいかな後世雨露の災にかゝり完璧なるものが少い。
  • 法華經[國寶] 二十九卷(內五卷後補)
  • 觀普賢經[國寶] 一卷
  • 無量義經[國寶] 一卷
  • 般若心經[國寶] 一卷
  • 文永の筆者目錄一卷及寬政の補寫目錄一卷添 以上東京帝室博物館出陳
  • 外に絹本著色、天海の贊ある家康畫像、天海僧正畫像、弘長二年の銘文ある高さ二米八(九尺二寸)の板碑、大聖文殊永仁三年丙申十月佛師光慶大勸進金剛の胎內銘ある傳釋道忠木像などがある。
  • 銅鐘[國寶] 一口 銘 奉治鑄六尺椎鐘 一口 天臺別院 慈光寺 大勸進遍照金剛 深慶 善知識入唐沙門 妙空 大工物部 重光 寬元三年乙巳五月十八日辛亥 願主權律師法橋上人位榮朝 銅一千二百廳
  • 榮朝は上州世良田長樂寺の開山であつて、深慶、妙空は共に當寺の住僧である。殊に妙空が特に入唐沙門とあるのは珍とすべく、大工物部重光は當時有名なる鐮倉の鑄工で建長寺の梵鐘も同人の作である。

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