大聖寺の法華経供養塔

大聖寺法華經供養塔[國寶]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

東武鉄道東上線小川町駅の東約3km、小川町下里、大聖寺の境内にあります。6枚の緑泥片岩製の板を組み合せて造った六面塔で高さ約1.5m、各面に弥陀の種子と銘文が刻されています。正面には「奉読誦法花経一千部供養開山希融平貞義、祐仙、檀那宥阿□□□□」とあり、後面には「康永三年三月十七日永範宗吉一結之諸衆敬白」とあります。その他の四面には人名のみが列記されています。すなわちこの供養塔は室町時代の初期においてここに列記された人々が団結して法華経一千部読誦の供養をしたことを記念するために建てたものです。

この供養塔のそばに同じく康永3年(1344年)の年号がある石塔婆があります。高さ約18m、大日の種子と銘文が刻されています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
大聖寺の法華経供養塔
かな
だいしょうじのほけきょうくようとう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
埼玉県比企郡小川町下里1857
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同小川町驛の東約三粁、小川町下里、大聖寺の境內にある。六枚の綠泥片岩製の板を組み合せて造つた六面塔で高さ約一米半(五尺)各面に彌陀の種子と銘文が刻されて居る。正面には「奉讀誦法花經一千部供養開山希融平貞義、祐仙、檀那宥阿□□□□」とあり、後面には「康永三年三月十七日永範宗吉一結之諸衆敬白」とある。その他の四面には人名のみが列記されて居る。卽ちこの供養塔は室町時代の初期に於てこゝに列記された人々が團結して法華經一千部讀誦の供養をしたことを記念するために建てたものである。

この供養塔の傍に同じく康永三年の年號ある石塔婆がある。高さ約一八米(六尺二寸)、大日の種子と銘文が刻されて居る。

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