仙波東照宮

東照宮
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

喜多院の南隣にあり、天海僧正の創建で江戸時代前期の寛永年間(1624~1644年)の建築、喜多院はもとこの社の別当でした。本殿は朱塗三間社流造銅板葺で桝組、桁、虹梁蟇股などに江戸時代初期の華麗な極彩色を残しています。拝殿は三間二面の入母屋造、本殿と同様朱塗銅板葺です。長押上には国宝三十六歌仙の図がかかっています。初期浮世絵の祖として有名な岩佐又兵衛の筆で、板額に極彩色で歌仙を描き、背景の金地に歌が書いてあります。柿本人麿および中務像の裏には朱漆で「寛永拾七庚辰年六月十七日絵師土佐光信末流岩佐又兵衛尉勝以図」とあり、他の像の裏には単に「絵師勝以」とのみあります。なお幣殿には鷹の図の額が12面奉納されています。各図に「奉献上絵鷹十二聡寛永十四丁丑暦九月十七日阿部対馬守藤原朝臣重次」と墨書してあります。勝以はその作品に主として印章のみを用いましたが、この額には署名、年紀、画系まで併せて書いてある点において最も貴重なもので、かつ古来描き尽された陳腐な歌仙像を浮世絵の画風をもって描き新機軸を打ち出したことも絵画史上の異彩です。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
三十六歌仙板額のひとつ(川越東照宮)

令和に見に行くなら

名称
仙波東照宮
かな
せんばとうしょうぐう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
埼玉県川越市小仙波町1-21-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

喜多院の南鄰にあり、天海僧正の創建で寬永年閒の建築にかゝり、喜多院はもと當社の別當であつた。本殿は朱塗三閒社流造銅板葺で桝組、桁、虹梁蟇股などに江戶時代初期の華麗なる極彩色を存して居る。拜殿は三閒二面の入母屋造、本殿と同樣朱塗銅板葺である。長押上には國寶三十六歌仙の圖がかゝつて居る。初期浮世繪の祖として著明なる岩佐又兵衞の筆で、板額に極彩色で歌仙を畫き、背景の金地に歌が書いてある。柿本人麿及中務像の裏には朱漆で「寬永拾七庚辰年六月十七日繪師土佐光信末流岩佐又兵衞尉勝以圖」とあり、他の像の裏には單に「繪師勝以」とのみある。尙幣殿には鷹の圖の額が十二面奉納されて居る。各圖に「奉獻上繪鷹十二聰寬永十四丁丑曆九月十七日阿部對馬守藤原朝臣重次」と墨書してある。勝以はその作品に主として印章のみを用ゐたが、この額には署名、年紀、畫系まで倂せて書せる點に於て最も珍重すべく、且古來畫き盡された陳腐な歌仙像を浮世繪の畫風を以て描き新機軸を出したことも繪畫史上の異彩である。

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