勝尾寺

勝尾寺[眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

箕面滝から東4km、豊川村粟生にあります。箕面公園杉の茶屋から美しい渓流に沿って雄滝を見、九十九折の山道を緩かな坂道が通じています。付近は初夏には真昼でもホトトギスが聞けるというほどの静かな場所で海抜450mあまりの高所のため、好い避暑地で、秋季は箕面に劣らない紅葉美が見られます。

寺は西国二十三番札所で、古く奈良時代の神亀4年(727年)善仲、善算両法師の開基で、光仁天皇の皇子、開成皇子の創立と伝えられています。以来歴代の尊信が厚く、清和天皇は当山を訪れた際に旧名弥勒寺を改めて勝尾寺と名付けられました。法然上人も流罪を許されて京へ戻る途中しばらくここに住まわれました。寺は平安時代の元暦元年(1184年)平氏追討の時焼亡し、源頼朝が再興、その後豊臣秀頼が片桐且元に命じて堂宇を修補させました。現在本坊小池院のほか十数の支坊があり、仁王門、講堂、輪蔵、薬師堂、弥勒堂、開山堂など多数の諸堂宇が広い境内に散在しています。奥院は般若堂と称し、六角堂で、大般若経六百巻を収蔵しています。寺の西北山上海抜500mあまり、開成皇子が修禅された最勝峰に皇子墓があります。

寺宝は多数あり、そのなかの紙本墨書法華経巻第四、一巻は国宝です。見返に極彩色で山中の庵室に鹿鳴を聴く図を蘆手絵風に描き、気品の優美なもので平家納経の類品です。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
勝尾寺
かな
かつおうじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府箕面市粟生間谷2914-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

箕面瀧から東四粁、豐川村粟生にある。箕面公園杉の茶屋から美しい溪流に沿うて雄瀧を見、九十九折の山道を緩かな阪路が通じて居る。附近は初夏には眞晝閒も杜鵑が聞けると云ふ程の幽邃境で海拔四五〇米餘の高處であるから、好い鎖夏境で、秋季は箕面に劣らぬ紅葉美が見られる。

寺は西國廿三番札所で、古く神龜四年善仲、善算兩法師の開基で、光仁天皇皇子開成の創立と傳へられる。以來歷代の尊信厚く、淸和天皇は當山に行幸あつて舊名彌勒寺を改めて勝尾寺と號せしめられた。法然上人も遠流敕免ありて歸洛の途次暫くこゝに住せられた。寺は元曆元年平氏追討の時燒亡し、源賴朝の再營ありその後豐臣秀賴、片桐且元に命じて堂宇を修補せしめた。今本坊小池院の外十數の支坊あり、仁王門、講堂、輪藏、藥師堂、彌勒堂、開山堂等數多の諸堂宇が廣い境內に散在して居る。奧院は般若堂と稱し、六角堂で、大般若經六百卷を藏してある。寺の西北山上海拔五〇〇米餘、開成皇子の修禪し給うた最勝峰に皇子墓がある。

寺寶數多あり、中に紙本墨書法華經卷第四、一卷は國寶である。見返に極彩色で山中の庵室に鹿鳴を聽く圖を蘆手繪風に描き、氣品のいかに優美なもので平家納經の類品である。

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