年足神社石川年足墓誌

年足神社石川年足墓誌[國寶]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

東海道本線高槻駅の西北約1.5km、満水村真上年足神社に所蔵され、銅製鍍金、長さ37cmあまり、幅13cmあり、表面に次の銘文があります。

武内宿禰命子宗我石川宿禰十世孫従三位行左大弁石川石足朝臣長子御史大夫正三位兼行神祇伯年足朝臣当平成宮御宇 天皇之世天平宝字六年歳次壬寅九月丙子朔乙巳春秋七十有五薨于京宅以十二月乙巳朔壬申葬于摂津国嶋上郡白髪鄉酒垂山墓礼也筏形百代冠蓋千年夜台荒寂松柏含煙鴨呼哀哉

墓誌は江戸時代後期の文政3年(1820年)の出土で、墓誌の下に木製箱形の納骨器があり、その内部に火葬骨を収めた朱塗の納骨器が入っていたと伝わります。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
年足神社石川年足墓誌
かな
としたりじんじゃいしかわとしたりぼし
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
大阪歴史博物館に寄託されていて、この地にはありません。年足神社も現存しないようです。発見された場所には「荒神塚」の碑が立てられています。

日本案内記原文

同高槻驛の西北約一粁半、滿水村眞上年足神社に所藏せられ、銅製鍍金、長さ九寸八分餘、幅三寸四分あり、表面に左の銘文がある。

武內宿禰命子宗我石川宿禰十世孫從三位行左大辨石川石足朝臣長子御史大夫正三位兼行神祇伯年足朝臣當平成宮御宇 天皇之世天平寶字六年歲次壬寅九月丙子朔乙巳春秋七十有五薨于京宅以十二月乙巳朔壬申葬于攝津國嶋上郡白髮鄉酒垂山墓禮也筏形百代冠蓋千年夜臺荒寂松柏含煙鴨呼哀哉

墓誌は文政三年の出土で、墓誌の下に木製箱形納骨器あり、その內部に火葬骨を收めた朱塗の納骨器が存して居たと云ふ。

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