本山寺
本山寺[天臺宗]
※現代の景観です。
昭和初期のガイド文
神峯山寺の北約3km、清水村原にあります。標高約400mの山腹で役小角の草創と伝わり、平安時代の大治中(1126~1131年)、良恵および忍恵父子が堂塔を修造したといいますが、安土桃山時代の天正中(1573~1592年)兵火に焼尽し、慶長年中(1596~1615年)に至って豊臣秀頼によって再興され、江戸時代中期の元禄年中(1688~1704年)、徳川綱吉の生母桂昌院が修補して今日におよんでいます。本尊小角作と伝わる木造毘沙門天立像は胴部は後補ですが、頭部は藤原時代の作です。また寺宝の木造聖観音立像も藤原時代の作で、両者ともに国宝に指定されています。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 本山寺
- かな
- ほんざんじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 大阪府高槻市原3298
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
神峯山寺の北約三粁、淸水村原にある。標高約四〇〇米の山腹で役小角の草創と傳へ、大治中、良惠及び忍惠父子堂塔を修造したと云ふが、天正中兵火に燒盡し、慶長年中に至つて豐臣秀賴の再興あり、元祿年中、德川綱吉生母桂昌院の修補ありて今日に及んだ。本尊小角作と傳ふる木造毘沙門天立像は胴部は後補であるが、頭部は藤原時代の作である。また寺寶の木造聖觀音立像も藤原時代の作で、兩者ともに國寶に指定されて居る。