神峯山寺

神峯山寺[天臺宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

東海道本線高槻駅の北約7km、清水村原にあります。北丹波に接し、東山城を控えた標高約200mの山腹にあり、役小角の草創と伝わり、拾芥抄に七高山のひとつと記されている摂州神峰で修験道の霊場です。平安時代の大治中(1126~1131年)良恵和尚が大規模に伽藍を造営し、歴代天皇ならびに武将の崇敬が厚いところでしたが、江戸時代後期の明和2年(1765年)焼失し安永年間(1772~1781年)に再建されました。伽藍は崖によりそって立ち、中腹に総門があり、大治2年(1127年)の建築といい、門内渓流の右側に坊舎があり宝塔、寂光、竜光の三院があります。上に本堂があり、右に輪蔵、左に観音堂があり、後方の高所に開山堂があります。山中で景勝に富み九頭竜瀧が開山堂の東方にあります。

  • 宝物
  • 仏混槃図[国宝] 絹本著色 一幅 鎌倉末期の作品で構図に特異なところがあり貴重なものです。
  • 阿弥陀如来坐像[国宝] 木造 一躯 膝は磨滅していますが、衣文のひだに一種の特色を示した藤原末期の作です。
  • 聖観音立像[国宝] 木造 二躯 ひとつは宝髻を載き、藤原末期の作で、ほかは一木造、彫出しの宝冠を着け素朴で勁健な作風を示した平安前期の作です。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
神峯山寺
かな
かぶさんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府高槻市原3301-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同高槻驛の北約七粁、淸水村原にある。北丹波に接し、東山城を控へた標高約二〇〇米の山腹にあり、役小角の草創と傳へ、拾芥抄七高山の一に攝州神峰とあつて修驗道の一靈場である。大治中良惠和尙大いに伽藍を造營し、歷代天皇竝に武將の崇敬厚かつたが、明和二年燒失し安永年閒に再建した。伽藍は崖に倚り建ち、中腹に總門あり、大治二年の建築と云ひ、門內溪流の右側に坊舍あり寶塔、寂光、龍光の三院がある。上に本堂あり、右に輪藏、左に觀音堂あり、後方の高所に開山堂がある。山中景勝に富み九頭龍瀑が開山堂の東方にかゝつて居る。

  • 寶物
  • 佛混槃圖[國寶] 絹本著色 一幅 鐮倉末期の作品で構圖に特異な處があり參考すべきものである。
  • 阿彌陀如來坐像[國寶] 木造 一躯 膝は磨滅して居るが、衣文の襞褶に一種の特色を示した藤原末期の作である。
  • 聖觀音立像[國寶] 木造 二躯 一は寶髻を載き、藤原末期の作で、他は一木造、彫出しの寶冠を著け素朴勁健な作風示した平安前期の作である。

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