四条畷神社

四條畷神社[別格官幣社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

片町線四条畷駅の東約1km、四条畷村南野にあります。小楠公社と呼ばれ、明治22年(1889年)の創建で、楠木正行を祀ります。正行は室町時代の正平3年(1348年)弟正時とともに、高師直の軍とこの地で戦い、23歳で没しました。社は飯盛山の西腹にあり、その山麓を南北に走る東高野街道は京都、高野、吉野方面に通ずる要路で、当時戦場となった場所と想像されます。社宝の薙刀直し刀は明治天皇から寄附されたもので、備州長船住長守作正平八年正月日の銘があり、包永在銘の太刀一口とともに国宝です。境内は桜が多く、樹木が蒼然として繁り、社殿を囲んでいます。境内の摂社御妣神社は大楠公夫人を祭神としています。例祭は2月12日、御妣神社は10月5日です。飯盛山の山上に三好氏の城址があり、遊園地になっています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
四条畷神社

令和に見に行くなら

名称
四条畷神社
かな
しじょうなわてじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府四條畷市南野2-18-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同四條畷驛の東約一粁、四條畷村南野にある。小楠公社と呼び、明治二十二年の創建で、楠木正行を祀る。正行は正平三年弟正時と共に、高師直の軍とこの地に戰ひ、歲二十三を以て歿した。社は飯盛山の西腹にあり、その山麓を南北に走る東高野街道は京都、高野、吉野方面に通ずる要路で、當年の戰蹟たるを想はしめる。社寶の薙刀直し刀は明治天皇の御寄附にかゝり、備州長船住長守作正平八年正月日の銘があり、包永在銘の太刀一口と共に國寶である。境內櫻樹多く、樹木蒼然として繁り、社殿を圍んで居る。境內の攝社御妣神社は大楠公夫人を祭神として居る。例祭は二月十二日、御妣神社は十月五日である。飯盛山の山上に三好氏の城址あり、遊園地になつて居る。

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