高井田横穴

高井田橫穴[指定史蹟]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

大軌桜井線大軌国分の東北約1.5km、堅下町高井田の藤田男爵家墓地に至る参道の側面に露出した横穴で、広くこの丘陵麓の軟砂岩に多数造られた群集構穴のうちの一群ですが、ここにある横穴は、玄室もしくは羨道の壁面およびその他の部分に、種々の風俗画や象形が線彫りをもって描かれていることが特徴で、入口から順に記すと次のとおりです。

花の横穴 羨道入口の上部に2個の花紋を並べて彫刻しています。

人物の横穴 高所に位置し、壁画は主として羨道左右壁面にあります。埴輪土偶に見るような服装をした人物が直立して、あるいは手に槍のようなものを携えたものもあり、ゴンドラ式の船に乗り、あるいは櫂をとり、錨綱を持っているなど、各種の人物の図象があります。

桃の横穴 奥壁に桃の実に似た形象の彫刻があり、かつ天井部には屋根の棟木、隅木等を示した彫刻があります。

唐草の横穴 羨道の正面、上部に唐草紋様を刻し、玄室内部の羨道上部にも唐草紋様の彫刻があり、また羨道右壁には器の形象があります。発見の際、壺やその他の遺物を出土した横穴です。穴の形が鈎の手に屈曲しています。

以上の壁画はいずれも上代の原始的絵画に属し、落書きのようなものもありますが、風俗史上また美術史上尊重すべき資料です。なお高井田丘陵の北に続く丘陵上には、石室をもつ多数の円墳群があり、平尾山千塚の名をもって知られています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
高井田横穴
かな
たかいだよこあな
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府柏原市高井田1598-7
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同大軌國分の東北約一粁半堅下町高井田藤田男爵家墓地に至る參道の側面に露出した橫穴で、廣くこの丘陵麓の軟砂岩に多數に營まれた群集構穴のうちの一群であるが、こゝに存する橫穴は、玄室若しくは羨道の壁面及びその他の部分に、種々の風俗畫や象形が線彫りを以て描かれて居る特異のもので、入口から順次に記すと左の通りである。

花の橫穴 羨道入口の楣上に二個の花紋を竝べて彫刻して居る。

人物の橫穴 高所に位し、壁畫は主として羨道左右壁面に存する。埴輪土偶に見る如き服裝をなした人物が直立して、或は手に槍の如きを携へたるものあり、ゴンドラ式の船に乘り、或は櫂をとり、錨綱を持つて居る等、各種の人物の圖象がある。

桃の橫穴 奧壁に桃の實に似た形象の彫刻を存し、且天井部には屋根の棟木、隅木等を示した彫刻がある。

唐草の橫穴 羨道の正面、楣に唐草紋樣を刻し、玄室內部の羨道楣の上部にも唐草紋樣の彫刻あり、また羨道右壁には𤭯の形象がある。發見の際齋瓮その他の遺物を出土した橫穴である。穴の形が鈎の手に屈曲して居る。

以上の壁畫は何れも上代の原始的繪畫に屬し、戲畫に類するものもあるが、風俗史上美術史上尊重すべき資料である。尙高井田丘陵の北方に續く丘陵上には、石室を有する多數の圓墳群が存し、平尾山千塚の名を以て知られて居る。

北河内地方のみどころ