筑波山

筑波山
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

関東平野の中央からやや東北に偏して屹立する名山で、平野中いずれのところからも望まれます。山腹の地質は花崗岩でその間から迸出した斑糲岩が、山峰を形成し、花崗岩からも風化に対する抵抗力強く、嶄然として奇哨絶壁を示しています。山上には女体山、男体山の双方が東西に並び、その間に鞍部があり、あたかも馬の両耳のように異彩を呈します。女体山の絶頂は海抜876m、男体山の頂上はこれより6m低くなります。全山鬱蒼とした森林に覆われ、麓にはカシが多く、ようやく登ればカシとモミの混淆林となり、モミの林の保護の下にブナとカシが相接して生じ、海抜750mに至ればモミはなくなり、それから上はブナの単純林となり、暖帯林から温帯林にわたる林相の変化がよく見られます。山中には食虫植物のモウセンゴケ、寄生植物のツクバネのような、珍しい植物が少なくなく、植物学研究の資料が豊富です。

山の色は朝は藍、昼は緑、夕は紫に見え、特に紫の山色が最も賞美され、紫山の別名があり、

雪は申さずまづ紫の筑波かな 嵐雪

行春や紫さむる筑波山 無村

などの句が人口に膾炙されています。

登山には筑波町の海抜300mのところから、山上の鞍部790mのところまで鋼索鉄道が設けられています。筑波鉄道の筑波駅はこの山唯一の登山口で、ここで下車した人は自動車または徒歩で東北に向かい、沼田の集落を過ぎ緩傾斜の坂道を進み、水無川を渡り筑波町に入り、筑波神社の邦殿に至ります。ここまで3km、それから拝殿の裏に出れば鋼索鉄道の起点に達します。筑波町の旅館、山水荘、江戸屋、筑波館。

町には地震研究所の支所および測候所があります。鋼索鉄道により東北に向かい、斑糲岩の累々とした間を登ればアカマツ、モミ、ブナの森林の間から遠く西南の平野が見下されます。水無川の源流を過ぎ、西北に折れトンネルを抜け、山上の鞍部にある終点に達します。この間十分を要します。鞍部は御幸ヶ原と称され、旅館や喫茶店があり、山上の中この鞍部は足場がよく、のびのびした気分で展望することができます。

鞍部から西に向かい岩石の間をよじ登り男体山の頂に登れば男体宮があります。そのそばにある測候所は明治34年山階宮菊麿王が御設置になり、日本の山岳気象観測所の最も古いもので、後に中央気象台の管轄に移り、設備を新しくしましたが、山階宮の御経営当時の旧観測台は記念のため保存されています。

鞍部から東に緩やかな坂を辿ればブナの森林を過ぎ女体山の頂上に至ります。ここに女体宮があります。宮のそばに一等三角点があり、千葉県の鹿野山、神奈川県の大山、埼玉県の武甲山、群馬県の赤城山、栃木県の男体山のそれとともに、関東地方に大三角網を形成するものです。男体、女体の山頂および鞍部は皆展望に富み、関東の平野を瞰下し、霞ヶ浦、太平洋の波光を望み、西北には遠く富士山を眺められ、西は秩父諸山から浅間山の噴煙まで見られ、西北には男体山の円錐、北には那須の群峰が仰がれ、近くは北に隣り合う加波山の尖峰が呼ベば応えんばかりに眺められます。

下山には鞍部から鋼索鉄道に並ぶ急坂を下れば1.5kmで筑波神社の拝殿に至ります。また女体山頂から東に急坂を下れば、巨岩の名所として北斗石、大黒石、出船入船石、高天ヶ原、弁慶七戻りなどがあります。それから南に折れてアカマツの林を過ぎ太郎兵衛茶屋に至れば、白滝に出る岐路があります。右に進めば筑波町の女体山登口に帰ります。山上からここまで約3km、白滝を経由すれば山上から4kmあまりで筑波町に帰ります。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
筑波山 高浜より望む

令和に見に行くなら

名称
筑波山
かな
つくばさん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
茨城県つくば市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

關東平野の中央よりやゝ東北に偏して屹立する名山で、平野中何れの處からも望まれる。山腹の地質は花崗岩でその閒から迸出した斑糲岩が、山峰を形成し、花崗岩よりも風化に對する抵抗力强く、嶄然として奇哨絕壁を示して居る。山上には女體山、男體山の雙方が東西に竝び、その閒に鞍部があり、恰も馬の兩耳の如く異彩を呈する。女體山の絕頂は海拔八七六米、男體山の頂上はこれより六米低い。全山鬱蒼たる森林に掩はれ、麓には樫多く、漸く登れば樫と樅の混淆林となり、樅の林の保護の下にぶなと樫が相接して生じ、海拔七五〇米に至れば樅は終を吿げ、それより上はぶなの單純林となり、暖帶林から溫帶林に亘る林相の變化がよく見られる。山中には食蟲植物のまうせんごけ、寄生植物のつくばねの如き、珍奇なる植物少からず、植物學硏究の資料が豐富である。

山の色は朝は藍、晝は綠、夕は紫に見え、殊に紫の山色が最も賞美せられ、紫山の別名があり、

雪は申さずまづ紫の筑波かな 嵐雪

行春や紫さむる筑波山 無村

などの句が人口に膾炙されて居る。

登山には筑波町の海拔三〇〇米の處から、山上の鞍部七九〇米の處まで鋼索鐵道の設がある。筑波鐵道の筑波驛はこの山唯一の登山口で、こゝで下車したものは自動車または徒步で東北に向ひ、沼田の部落を過ぎ緩傾斜の坂道を進み、水無川を渡り筑波町に入り、筑波神社の邦殿に至る。こゝまで三粁、それより拜殿の裏に出づれば鋼索鐵道の起點に達する。筑波町の旅館、山水莊、江戶屋、筑波館。

町には地震硏究所の支所及測候所がある。鋼索鐵道により東北に向ひ、斑糲岩の累々たる閒を登れば赤松、樅、ぶなの森林の閒から遠く西南方の平野が見下される。水無川の源流を過ぎ、西北に折れトンネルを拔け、山上の鞍部にある終點に達する。この閒十分を要する。鞍部は御幸ケ原と稱せられ、旅館や喫茶店があり、山上の中この鞍部は足場がよく、のびのびした氣分で展望することが出來る。

鞍部より西に向ひ岩石の閒を攀ぢて男體山の頂に登れば男體宮がある。その傍にある測候所は明治三十四年山階宮菊麿王が御設置になり、わが國山嶽氣象觀測所の最も古きもので、後に中央氣象臺の管轄に移り、設備を新にしたが、山階宮の御經營當時の舊觀測臺は記念のため保存されて居る。

鞍部より東方に緩かなる坂を辿ればぶなの森林を過ぎ女體山の頂上に至る、こゝに女體宮がある。宮の傍に一等三角點があり、千葉縣の鹿野山、神奈川縣の大山、埼玉縣の武甲山、群馬縣の赤城山、栃木縣の男體山のそれと共に、關東地方に大三角網を形成するものである。男體、女體の山頂及鞍部は皆展望に富み、關東の平野を瞰下し、霞ケ浦、太平洋の波光を望み、西北には遠く富士山を眺め得べく、西は秩父諸山から淺閒山の噴煙まで見られ、西北には男體山の圓錐、北には那須の群峰が仰がれ、近くは北に鄰る加波山の尖峰が呼ベば對へんばかりに眺められる。

下山には鞍部より鋼索鐵道に竝ぶ急坂を下れば一粁半で筑波神社の拜殿に至る。また女體山頂から東方に急坂を下れば、巨岩の名所として北斗石、大黑石、出船入船石、高天ケ原、辨慶七戾りなどがある。それより南に折れて赤松の林を過ぎ太郞兵衞茶屋に至れば、白瀧に出る岐路がある。右に進めば筑波町の女體山登口に歸る。山上からこゝまで約三粁、白瀧を經由すれば山上から四粁餘で筑波町に歸る。

筑波山・笠間のみどころ