佐藤一斎の墓
佐藤一齋墓
昭和初期のガイド文
市内電車六本木停留場の西北。深廣寺境内にあり、惟一先生佐藤府君之墓と記され、江戸時代末期の文久2年(1862年)の建設となります。一斎は江戸の人、幕府に召されて昌平坂学問所の教授となり、一世を風靡した儒学者です。江戸時代末期の安政6年(1860年)88歳で没しました。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 佐藤一斎の墓
- かな
- さとういっさいのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存するが非公開
日本案内記原文
市內電車六本木停留場の西北。深廣寺境內にあり、惟一先生佐藤府君之墓と誌され、文久二年の建設に係る。一齋は江戶の人、幕府に召され昌平黌の敎授となり、一世を風靡した鴻儒である。安政六年八十八歲で歿した。