杉田玄白の墓
杉田玄白墓
昭和初期のガイド文
市内電車西久保巴町停留場の東南、天徳寺内墓地にあり、明治40年(1907年)贈位の時に建てられたもので、九幸杉田先生之墓とあります。玄白は若狭小浜藩の医官で、蘭学者としての功績が大きく、外科医書の翻訳に従事し、同志とともに解体新書を著しました。江戸時代後期の文化14年(1817年)85歳で没しました。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 杉田玄白の墓
- かな
- すぎたげんぱくのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 備考
- 天徳寺の塔頭、栄閑院(猿寺)の境内になります。
- 住所
- 東京都港区虎ノ門3-10-10 栄閑院内
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市內電車西久保巴町停留場の東南、天德寺內墓地にあり、明治四十年贈位の時に建てられたもので、九幸杉田先生之墓とある。玄白は若狹小濱藩の醫官で、蘭學者としての功績が極めて多く、外科醫書の飜譯に從ひ、同志と共に解體新書を著した。文化十四年八十五歲で歿した。