台徳院霊廟
昭和初期のガイド文
徳川二代将軍裏方霊屋の南隣にあり、三代将軍家光が父台徳院秀忠のために、江戸時代前期の寛永9年(1632年)工を起し、寛永12年(1635年)に竣工したものです。その大まかな建築配置は二天門、勅額門、水屋、鐘楼、唐門、拝殿、相ノ間に本殿を具備した霊屋と、南に離れて丘上に拝殿を備えた墓所があります。
建築の様式は仏殿式と神社建築の様式からなる複合式で、江戸時代に発達した廟建築の代表的建築となっています。拝殿は五間三面入母屋造銅瓦葺で、正面に唐破風造の向拝があります。柱と柱間の蔀戸などはすべて蝋色ですが、桝組、長押上に木鼻の彫刻などには金箔の極彩色を施し、腰組、廻椽および棰は朱塗になっています。内部は床、柱、柱間の戸などすべて蝋色塗で、欄間の彫刻、梁、桝組など極彩色が施されています。相ノ間も左右両側の柱および柱間は、すべて蝋色塗で、欄間の彫刻に極色彩を加えています。
本殿は五間五面重層入母屋造仏殿式の大建築です。屋根は銅瓦本葺、桝組は三手先詰組を使い、尾棰鼻を竜頭形・象頭形に彫り出し、金箔極彩色を施しています。これら上層長押上各部の装飾は絢爛を極め、日光の映える時には特に燦然として輝きます。内部は四方一間通を外陣として、四方の柱間は中央の三間に桟唐戸を建て、両端の一間は外側にれんじ窓を設け、内側には羽目板を張り金地に蓮池が描かれています。中央三間三面を内陣とし、漆箔金襴巻の丸柱を建て、奥に巨大な来迎柱を建てて、その間に重層入母屋造の華麗な厨子が安置されています。天井を張らず頭貫より屋根裏に至り、随所に彫刻を填充し、扇棰、梁、桝組などすべて極彩色を施し、化粧屋根裏板にも金箔を貼し、絢爛に目を奪われるような装飾が下から仰げます。
墓所は宝塔と拝殿からなります。拝殿は五間三面入母屋造、屋根銅瓦本葺、正面と後面中央一間に桟唐戸を付け、腰に廻縁を廻らしています。軸部は蝋色塗になっていますが、台輪上各部に極彩色の装飾が加えてあります。宝塔は拝殿の後の土壇上に立つ重層八角造の覆屋の中にあり、石段を登り朱塗の唐門を経て達します。覆屋の内部は内外二陣に分れ、内陣は八角形の石段で、その外側一間通が外陣になっています。内陣の八隅に、漆箔金襴窓の丸柱を建て柱間はそのまま開け放し、梁上各部に極彩色を施し、天井の鏡板には漆箔地に天人を描けるなど、華麗な装飾を施しています。宝塔はこの八角石壇の中央にあってその周囲全面に牡丹、唐獅子、楼閣などの高蒔絵を施し、七宝を嵌装した金具を使い、ところどころに丸形の水晶を嵌入し、中に阿弥陀如来の種子(梵字キリク)を現わすなど、精緻な意匠を凝らし、華麗を極めています。
令和に見に行くなら
- 名称
- 台徳院霊廟
- かな
- たいとくいんれいびょう
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 状態違うが見学可
- 備考
- 現在のザ・プリンスパークタワー東京の敷地にあたり、昭和20年(1945年)の東京大空襲により大部分を焼失しました。残った建物のいくつかは埼玉県所沢市へ移築、惣門のみここに残っていて、見学できます。墓所としては増上寺安国殿裏の徳川家墓所へ改葬されています。
- 住所
- 東京都港区芝公園4-8
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
德川二代將軍裏方靈屋の南鄰にあり、三代將軍家光が父臺德院秀忠のために、寬永九年工を起し、同十二年に竣工したものである。その大體の建築配置は二天門、敕額門、水屋、鐘樓、唐門、拜殿、相ノ閒及本殿を具備した靈屋と、南に離れて丘上に拜殿を備へた墓所がある。
建築の樣式は佛殿式と神社建築の樣式よりなる複合式で、江戶時代に發達した廟建築の代表的建築である。拜殿は五閒三面入母屋造銅瓦葺で、正面に唐破風造の向拜がある。柱及柱閒の蔀戶などはすべて蝋色であるが、桝組、長押上及木鼻の彫刻などには金箔の極彩色を施し、腰組、廻椽及棰は朱塗になつて居る。內部は床、柱、柱閒の戶などすべて蝋色塗で、欄閒の彫刻、梁、桝組など極彩色が施されて居る。相ノ閒も左右兩側の柱及柱閒は、すべて蝋色塗となし、欄閒の彫刻に極色彩を加へて居る。
本殿は五閒五面重層入母屋造佛殿式の大建築である。屋根は銅瓦本葺、桝組は三手先詰組を用ゐ、尾棰鼻を龍頭形及象頭形に彫り出し、金箔極彩色を施して居る。これら上層長押上各部の裝飾は絢爛を極め、日光の映ずる時は殊に燦然として輝く。內部は四方一閒通を外陣となし、四方の柱閒は中央の三閒に棧唐戶を建て、兩端の一閒は外側にれんじ窗を設け、內側には羽目板を張り金地に蓮池が描かれて居る。中央三閒三面を內陣となし、漆箔金襴卷の丸柱を建て、奧に巨大なる來迎柱を建てゝ、その閒に重層入母屋造の華麗なる厨子が安置されて居る。天井を張らず頭貫より屋根裏に至り、隨所に彫刻を填充し、扇棰、梁、桝組などすべて極彩色を施し、化粧屋根裏板にも金箔を貼し、絢爛目を奪はんばかりの裝飾が下から仰がれる。
墓所は寶塔及拜殿より成る。拜殿は五閒三面入母屋造、屋根銅瓦本葺、正面及後面中央一閒に棧唐戶を附し、腰に廻椽を廻らして居る。軸部は蝋色塗になつて居るが、臺輪上各部に極彩色の裝飾が加へてある。寶塔は拜殿の後の土壇上に立つ重層八角造の覆屋の中にあり、石段を登り朱塗の唐門を經て達する。覆屋の內部は內外二陣に分れ、內陣は八角形の石段で、その外側一閒通が外陣になつて居る。內陣の八隅に、漆箔金襴窗の丸柱を建て柱閒はそのまゝ明けはなし、梁上各部に極彩色を施し、天井の鏡板には漆箔地に天人を描けるなど、頗る華麗なる裝飾を施して居る。寶塔はこの八角石壇の中央にあつてその周圍全面に牡丹、唐獅子、樓閣などの高蒔繪を施し、七寶を嵌裝せる金具を用ゐ、所々に丸形の水晶を嵌入し、中に阿彌陀如來の種子(梵字キリク)を現はすなど、精緻なる意匠を凝し、華麗を極めて居る。